今日、2月17日は私の誕生日です! 生まれた記念日ですから、何回巡ってきてもうれしい。
 いつの間にか71歳になりました。
 小さいときから、目標というものを掲げないで来たように思います。だって、目標って意識すると辛くなるんですもの。

 あえていうなら「目標は小さい方がいい」と思っています。昔の言葉でいうなら身の丈、手に負える範囲、力量にあったということが、なぜか身についています。

 こう考えると、自己肯定感が低いのかもしれません。野望や野心に燃えて突っ走ることなく、ちょっとずつ足を前に進めていく。りんごの木もそんなふうに進めてきたように思います。はじめは子どもが二人、引っ越して、引っ越して、子どもが多くなると引っ越して、ヤドカリのように引っ越しを繰り返し、今があります。たぶん7回くらい引っ越してきました。
 園舎園庭を持たないで大きな借金を抱えることもなく、ちょうど家賃や人件費を払えるくらいの感じ。いいか悪いかわかりませんが、それが私にとって自由なのです。
 気持ちをあおり立てることもなく、自分の思う保育を濁らせることなく、仲間と一緒、納得いく仕事と生き方って感じかな。

 講演活動もそうです。依頼をいただくと手帳を眺め、可能なら引き受ける。(ただ、こちらは少々オーバー気味でどうしたものか思案中。)
 最近、素敵だと感じていた人が二人亡くなりました。一人は樹木希林さん。いま『一切なりゆき』という本を読んでいます。もちろん私とは違うけれど、素敵な考え方・生き方です。
「自分を使い切る」という言葉をおっしゃっていたのが印象的でした。そして、励まされていました。この言葉から頑張ろうという意欲が出てきたのです。

 私も最後の最後、隅々まで、柴田愛子らしくありたいと思っていましたし。しかし、最近はこの言葉は厚かましいのではないかと思い始めました。(樹木希林さんがそういう使い方をしていたわけではありません。言葉からの自分の解釈です)そんなに“わたし”“わたし”って叫ばなくてもいいんじゃないの? 3歳じゃあるまいし。自分の人生自分のもののようで、終えるときでさえ自分の自由になるわけじゃない。やっぱり生かされていることを感謝して全うするくらいのゆとりを持っていこうと思い始めました。
 もうひとり堀文子さんという画家が100歳で亡くなられました。画風や対象物が変わっていく彼女の信条は「慣れない」「群れない」「頼らない」です。格好いいでしょう? 私も見習いたいものと見えるところに書いて貼ってあります。
 しかし、最近「慣れない」「群れない」は同感ですが「頼らない」はできないし、しなくていいような気がしています。人に頼れるというのは大事なこと。頼れる人をもっているというのはありがたいこと。頼りながら生きていくほうが楽で自然という気がしています。
 だんだん力みが減ってきているのかな。その時々に刺激を受ける人や言葉がありますが、なんと言ってもいちばん刺激的なのは子どもという気がします。いまも新しい発見や反省が日々あります。

 年々、いろんな自分をふるいにかけて、最後にどんなふうになっていくのかを楽しみにしましょう。(2月17日 記)


 

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