6月8、9日の市営地下鉄「センター北」芝生広場と、15日都筑公会堂、私の話とケロポンズのコンサートで、2019年の「こどもみらいフェスティバル」が終了しました。
 一年かけて実行委員の方々が準備をしてきたのですから、長い道のりだったと思います。大がかりのイベント、ほんとにたくさんの方々の力の結集。ありがとう、そしてお疲れさまと申し上げたいです。

 その芝生広場で、かつての幼稚園の教え子と会いました。今は横浜に住んでいて、子どもは中学生になっているそうです。
「昔、先生怖かったよね。隣の先生が優しくていいなぁと思った」なんて言われたんです。
 隣の先生は新卒で入ってきた人です、私は二つ目に勤めた幼稚園で、その子を担当したときはすでに三十歳になっていたと思います。
「あのとき、絵を描いたでしょう? サッサの線とか、そーっとの線とかで、絵を描いたよね」と言われて、穴があったら入りたいくらいの気持ちになりました。
 その頃私は〈正しい幼児教育〉を求めて、あちこちの研究会に行き勉強していました。そのときのひとつ絵画部会では「伝え合いの幼児教育」といい、法政大学の乾たかし先生のマンションに集まって活動していました。観察画を描くことによって自意識を高めるというねらいもあり、現場の実践の絵をもちよって検討し合っていました。私もそのやり方に傾倒していた時代です。過去の自分のやってきたことを子ども自身がこんなに鮮明に覚えているのかと思うと、もう本当に恥ずかしくて申し分けなくて。
「でも、園長先生といっぱいけんかして、あなたたちのあそびを保障していたんだよ」と言うと「そうなの?」
 その子どもたちが卒業と同時に私も退職しました。「そのあと、幼稚園に行っても先生がいなくて寂しかった」なんて言ってくれるのです。
 怖いと言いながら、そんなこと言ってくれてありがたいことです。
 確かに熱心に勉強し頑張っていたの頃ですから、きつかったのでしょう。目をつり上げていた顔のほうが多かったのかもしれません。
「でもさ、今、先生の本読んだり、言っていることを聞くと、ぜんぜん違うよね。どうして、こんなに違うの?」と、これまたきついご指摘です。
 ほんとに私自身もいろんな経緯があって、そのときそのときに夢中ではあったけれど、精一杯ではあったけれど、今のような保育観は持っていませんでした。でも、いろんな経緯があったからこその今があるのでしょう。
 そう考えると、たくさんの子どもを振り回し、迷惑をかけながら、自分育てをしてきたのです。自分はいつも前しか向いていないので、ちっとも振り返ることもなく、そんな時代があったことなんて、とんと忘れていたのですから申し分けない。
 この時代の子どもたちとは数人と会ったりしています。一年に一回「フジロック・フェスティバル」で会う子もいます。一生懸命であることは、繋がっていくということでしょうか? 優しくても、怖くてもね。
 彼女が言うように今の私になったのは、りんごの木からだと思います。あきれたことに、それまでの保育はすべて忘れたかのようになっています。子どもの心に添うことで子ども気持ちに気づき、子どもの自ら育つ力を確信できてから、「子どもが主役の保育」に気づき始めました。それでも初期と今では違う私だろうと思います。たくさんの子どもたちから栄養をもらって今があり、これからも育てていただきます。子どもたちに感謝です!
 いろんな子どもや親たちに会って、子どもみらいフェスティバルは同窓会のようでもありました。(6月16日 記)


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