qq

 今年も残り少なくなりました。とはいっても、あと一週間バタバタと過ごさなければなりません。
 話は突然ですが、園に楽しく毎日通ってほしいと親も保育者も思います。ところがそうはいかないことが起きるのです。りんごの木でも然りです。最近、何人かの子が朝しぶりながらやってきたり、親が付き添ってくれたり、たまに「元気休みです」と言ってきたりしています。
 今まで長いこと、ずっと「やすみたくない」くらいに来ていたのに、最近になって「いきたくない」「やすみたい」「ママといっしょにいたい」と言い出したのです。
 私たち保育者も必死です。「そんなばかなぁ、こんなに大事にしているのに!」というのが本音。親だって「そんなばかなぁ、今までスムーズにきたのに、なにがあったの!」と思うでしょう。
 けれど、子どもは聞いても話しませんというか、感情は正直なのですが、頭で整理して自分の気持ちがわかっているわけではないのです。
 おとなたちは心穏やかではいられずに、原因を探ります。そして、あの手この手を使ってみます。
「帰ってきたら、おいしいおやつをあげるよ」
「今夜は大好きなご馳走を作ろうかな」
「週末には遊園地に行こうか」
「帰ってきたらゲームしてもいい」
などと、甘いものでつろうとします。
「パパだってお仕事に行っているでしょう! あなたのお仕事は園に行くことです!」
「もう、行きたくないならやめます。いいのね!」
「やめたら○○ちゃんとも遊べないし、先生とも会えなくなるよ!」
「あかちゃんになるってことですよ。あかちゃんはどこにも連れて行けないからね!」
 やきもきしたおとなたちは、こんどは脅しにかかります。脅したいのではないんです。なんとかしたいために、ついつい言っちゃうんです。
「そういえば、この頃あそんであげていないな」
「そういえば、話しを聞いてあげていないな。忙しさにかまけてゆっくり子どもと向き合っていない」
「赤ちゃんができてから、上の子との時間をつくってこなかった」
などと、反省も始まります。そして、ちょっと優しくもなります。
 こんなふうに、訳のわからない子どもの様子に振り回されてしまう。でも、これがありがたいことでもあるのかもしれません。子ども自身だって何が何やらわからない心の嵐、それに巻き込まれてしまうほど愛しているということでもあるのですからね。
 さて、保育者たちも同じようにあれこれ考えます。すると、いくつか「かもしれない」ことが浮かんできたりします。
 心当たりは子ども同士の関係です。とっても仲良しだったけれど、いままでは仲良しがいるから安心だったけれど、他の子が見えてきた。すると、「あのこ、おもしろそう」「あのことあそんでみたい」「そういえば、まだ、あんなあそびしたことがない」。
 すると、近くにいた仲良しの子がうっとうしくなってきたりします。遊びをリードしてくれるから楽しかったのに、口調を恐く感じ始めたりします。相手が思うようにいかないことに腹が立ったりもしてきます。おとなだったら「少し距離をあけて」とするところですけれど、子どもはいい加減を知りません。
 もちろん、それだけではなく保育者との関係だったり、様々な原因や要因があるでしょう。でも、残念ながら真実はわかりません。言えることは、子どもはいつも素の自分に向き合って正直に生きているということだけです。そして、おとなたちのできることは、時を待ち、きっと自ら気持ちを立て直すと信じて見守るだけです。甘いもので釣ったり、叱ったり、反省したりしながらね。
 考えて見たら、いつも順調なんてあり得ないのです。
 健康だと思っても、インフルエンザにかかったりしますよね。
 おとなだって、思いがけないことや嫌なことも起きますよね。
 子どもだって、日々楽しい日々が続くことを信じているのに、そうはいかないことだって起きるのです。それが生身の人間ってとこでしょうか。
 年末年始ゆっくり家族で過ごして下さい! 
 カルタや凧揚げもよし、百人一首など懐かしいものをやってみませんか?
 家族であくせくせずに食べ放題、遊びたい放題でいいです。それは子どももおとなも休憩になると同時に、子どもにとっていい思い出になっていきます。(12月23日 記)

 

●今年度のバックナンバーはここをクリックしてください。