ぬぬ

 とうとう五月になってしまいました。外は夏のようになり、爽やかな季節ですが、新型コロナの「緊急事態宣言」は継続することになりました。聞いたとたん「あー、やっぱり」とため息でした。
 予測はしていても、快適とは言いがたい暮らしが続くのですから、いままで以上に力が抜けた気がします。
 私は時間的には余裕ができ、カレンダーの予定は真っ白で「定年後の人ってこんな感じ?」なんて半分楽しんでもいました。
 例えば、歌や口笛が多くなりました。口ずさむ歌は昔の歌。口ずさめるのですが、どこで覚えたのかが記憶にない。歌詞からでもインターネットで検索出来るのですから楽ちんです。それは「水色のハンカチ」という歌でした。なんと昭和25年、双葉百合子がうたっているレコードまで流れました。言っておきますけど、私23年生まれですから、「君に会ううれしさに……」なんて歌を2歳はうたっていません。でも歌詞をこんなに覚えているというのは、高校生のときに音楽で習った? さあ、本棚を調べます。見つけました教科書。でも、この中にはありませんでした。
 このとき、ふと思ったのです。私、ほんとはけっこう<しつこい>人だったって。時間がないから切りすてていただけで、昔は意地になってやり続ける人だった記憶が戻ってきました。
 そうそう、いま「ペスト」というカミュの小説が流行っていると耳にします。これも、高校時代に読みました。同じ本に載っていた「異邦人」は大好きになりました。これも、ほこりだらけのを探し当てました。世界文学全集280円! 見つけましたが、これは現実味がありすぎて、今読もうとは思えませんでした。話を歌に戻すと姉に聞いてみましたら、うたえます。姉は9歳上ですから、この歌のときは11歳。まあ、ませていたのかどうかは知りませんが、歌はおとなでも子どもでも流行っていると覚えてしまうものですから、その時代の世の中が原点になっているのかもしれません。


 実はのどかな生活にも少しずつ変化があります。机の上のパソコンは開きっぱなしになっています。というのは情報がのべつ入って来るからです。保育界の同業の連絡や報道メール、意見の交わし合い、講演先からの日程変更のメール、スタッフ間の共有すべき事柄。新聞を読む時間も長くなっています。神経はちょっと張ってきたように思うのですが、どういうわけかすぐ眠くもなります。ご飯を食べると頭がぼんやり、横になるとパタンと眠ってしまう。夜間だっていままでより寝ているのに。
 新聞にこんなことが書いてありました。“「コロナ疲れ」の正体は”というタイトルです。
 それによると、疲れの正体は気が休まらないということ。人間は自由に行動したいというのが自然の欲求なので、それを我慢するためにはすごいエネルギーを使っているそうです。この疲れの対処法にひとつは入手する情報のバランスをとること、ネガティブではない情報を入れて脳のバランスをとること。二つ目は人間関係をキープすること。三つ目がとにかく睡眠をとることとありました。脳の疲労は睡眠によって回復するんですって! 私の睡眠時間が多くなったのはそういうことだったのです! 自覚せずに疲れていたんです。きっと。

 

 さて、コロナ騒動になってから急激に進化してきたのがインターネット系のこと。子ども同士でLINEテレビ電話をやっているとか、動画を配信しているとか、子どもって4,5歳児ですよ。さらに授業や学会、会議はオンラインで画面上だけどちゃんと顔を合わせて話せるんだからすごいです。

 オンラインで少人数の保育者研修をしませんか? というお誘いも来ました。みなさん「簡単だからだいじようぶ」と言います。親たちも知った顔を見て話すだけでもホッとすると言います。ある幼稚園では毎日ビデオレコードが送られてくるそうです。とんでもない時代に急に持ってこられました。まさに、浦島太郎みたいです。
 LINE、ユーチューブ、フェイスブック、ビデオレコード、インスタグラム? なんかさっぱりわかりません。会わずに話せる、学校に行かずに授業が受けられる、自宅勤務できる、想像もできなかったことが次々実現していくのですからすごいです。つまりこれは急激に発明されたわけではなく、こんな時代を迎えるべく進化し準備されていたんですよね。それがこの機会にいっきに必要とされ拡散し、みんなが使いこなせるようにもなっていた。すごい時代の開花です。
 でも、ふと立ち止まると人と、触れあわずしてことが済ませられるということでもあります。みんながカプセルの中。今の非常事態にはありがたい方法ではあると思います。生放送がスタジオではなく、各自が自宅。コーラスでさえそれぞれ違う場所にいながら声を合わせられるんですから、技術もすごいけど人間の柔軟さもたいしたものです。
 が、ここで心配なのは子どもたち。本来外であそび、友だちと群れて、人間を学んでいく。言葉を使わないでもコミュニケーションができる能力も持っている。ひとり一人の違いを感じ、そのひとの個性や感性を尊重していく、この微妙な能力が人間を生きていく底にあるべきなのではないでしょうか? 非常事態をおとなが越えるように、子どもたちが画面上で話し、あそび、ユーチューブで歌や絵本を見せてもらい、ゲームに興じる。今、おとなたちはもちろん善意で子どもたち向けにいろいろ発信しています。でも、パソコンやスマホ、タブレットを手放さなければ退屈することなく一日を過ごせたら、脳も心もさして動かなくなると思いませんか? 
 退屈しないであそばせてもらうのは、やっぱり違う気がします。人間はいろんな便利なものを造り出し、暮らしを進歩させてきました。でも、スタートのオギャーと話もできない、歩けもしないで生まれてくるのは変わりません。そして、子どもたちの感性や柔軟な思考を促していくのは、やっぱり子どもなんです。
 今は非常事態でこれを耐えていかなければ先に光がない。特別な状況が終息した後には、すっかり今の延長線上の社会になっていくのでしょうか? それとも元に戻るのでしょうか? それともいい加減に混ざりあっていくのでしょうか? 

 たぶん、この鍵は私たちひとり一人が握っているのです。(5月4日 記)

 

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