ぬぬ

 二階のベランダに出ると、大きな桜の木が空に向かって繁っています。
 この桜は、姪が小学校に入学したときに学校からもらってきた苗が大きくなったのです。なんといったって、その姪は五十代になりますからね。当時は甥も八重桜の苗でしたから、一軒家が大半だったのでしょうね。
 その桜の揺れ具合で、その日の風の強さを知ります。空気も風も見えないのに、葉の揺れかたや、頬にうける感じで空気の流れを感じます。
 昔、3歳のよっちゃんが風の強い日に公園に行ったとき、「どうしておこってるの?」と木に向かってつぶやきました。子どもの感性に感動したひとコマでした。そのよっちゃんも三十代ですけど、いつの時代も子どもはこんな感性を持っています。
 ちょっと風が強かった日、ベランダで風の音、つまり木々が揺れている音を聞いていたら、沖縄の海を感じたんです。寄せては返す波に似ているのです。自然の起こす周期って同じなのかしらと思い、目をつむります。五十代くらいから沖縄の海が好きになり、一年に一度くらい通っている、あの珊瑚礁のブルーの海です。空気はつながっている、風と海もいっしょなんだと発見した気持ちになりました。

 木々が繁り、人が少ないせいか、ちょっと空気がきれいになったような気がしませんか? 

 空気を吸うと、これまた懐かしい山を思い出します。その日の空気で思い出す山がちがいます。お日様の感じや空気の乾燥度による違いのような気もします。この辺ですから、高山ではなく、比較的低山が浮かんできます。無性にその場に行きたくなったりしながらイメージします。
 庭にいつも鳥が来ます。姉がご飯を撒いているので、ついばみにきます。先日、やけに賑やかでした。ピーピー木の上から下に向かって何羽もが呼びかけているように聞こえます。たぶん、下には雛がいるのでしょう。どこも雛が飛ぶ練習をしている季節のようです。鳥の種類は……苦手でよくわかりません。カラスと鳩と雀はわかりますが……シジュウカラかもしれません。

 時間的ゆとり、気持ちの落ち着きがなければ気にしてなかったことが、目や耳に入ってくるようになったのはありがたいことです。ちょっと心が膨れる気がしますからね。

 で、思い出したのです、ガウディを。そう、ご存じのスペインの建築家。直線がないかわった形の建物ですが、世界中の人を感動させています。ガウディの人となりの話を聞きに行ったときに、幼いとき病弱でベットの中から外を見ていることが多かった。植物、虫たちに魅せられて夢中になっていた。だから、彼の建物には植物や虫たちによって飾られていると。自然界には直線がないから、彼の建造物には直線がないということを聞いた気がします。こんな粗末な説明で済みませんが、ともかく、不自由な中で植物や虫たちを観察し、心を通わせていたのですから、何が功を奏するかわからないですよね。

 

 話は飛びますが、このところインターネットの進化に目が回っているので、どうしても過去からをたどってしまいます。
「書く」ということに視点を当ててみると、二十歳代のころ幼稚園のお便りは、鉄筆というとんがったもので蝋のような原紙に書き、輪転機というのを回して印刷していました。「ガリ版刷り」てす。わからないですよね? まあ、いいです50年も前ですから。
 三十代始めには仕事で取材したりして書いていました。原稿を原稿用紙に書き、提出すると赤鉛筆で真っ赤に訂正されて返ってきました。その繰り返し。締め切り間際になると「速達」。そのうち「Fax」という便利なものができてきました。どうして、電話機に挟んで送ると細い線を伝わって相手の所に届くのか、<わからないけど便利>の始まりです。
 次に出てきたのがワープロ。これで原稿を書いてくださいとのことで、練習しました。それまでのタイプライターと言われるような活字で打つという作業に近いと思います。
 しばらくして登場したのがパソコン。このころトランシーバーのような携帯電話も出てきました。たぶん、四十代〜五十代。
 書かずにパソコンで打つ、先方に持っていかず、やりとりはメールが常識になったのは六十代かもしれません。その後の進化は皆さんご存じの通りです。
 人生の中でこんなに変化していくんですね。みなさん歳を重ねていくというのはおもしろくもあり、努力も必要、大変なことです。でも、不思議ですね、かつては原稿用紙を前にしなければ書くことが浮かんでこなかったのに、いまやパソコンを前にしないと浮かんでこなくなりました。
 保育園・幼稚園などもあまり変わっていなくないですか? 子どもや保育はぜんぜん目まぐるしくない。だから、こんなに歳とっても保育ができるんですね。ありがたい仕事についたものです。
 つらつらと浮かんだことを書いてきましたけど、こんなふうに、立ち止まるいい時間をいただきました。時代の流れの中で今を生きている実感も自覚させられている気がします。
 きっと、コロナの騒動はやがて歴史上のこととして語られる日がくるでしょう。そのとき、「あのときはね」と、どんなことを話すのでしょうね。
 必ずトンネルは抜けるときが来ます。今感じていること、考えていることも自分に残してこの先をたどっていきたいですね。(5月23日 記)

 

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