ぬぬ

 りんごの木は保育が始まっています。“密”を避けるため工夫しての保育。ひとクラスは遠足に出かけたり、クラスを半分わけにしたり。

 体力のある5歳児は4日間連続で‘はたけ’という空き地で、朝から帰りまで過ごしています。このところの暑さで、日陰が少ないなか、水を流し、竹で囲った臨時(泥)プールに入り、あそんでいます。解散場所は登り坂歩いて20分くらいの小さい組。
 子どもも保育者も、日々、黒々としてきました。いちばん偉いのはさして若くない保育者たちです。長靴履いて、お尻に泥をつけて、首に手ぬぐい巻いて、マスクしてです。子どもらが解散した後は、はたけに戻って後片付け。もう、シャワーを浴びて休憩したらいいと思いますが、いろんな仕事を抱えていてそのまま場所を変えて働いてます。
 どのクラスも変則的で気を遣い、うっとうしいマスクをしながら、丁寧に掃除します。どこの保育・教育現場も施設も同じでしょう。みんながダウンしないうちに、日常のリズムをつくってほしいと思います。職を失った人が、そういう手不足な施設で働いてもらえたらいいのに……、先立つものがなく、簡単にいかないのが世の常。

 

 そんな現状ではありますが、外の仕事がなくなった私は暇なはず。ところが、どういうわけか居ながらにして忙しい。以前、私は動かずにいられないマグロ体質らしいと書きましたが、そればかりではない気がしています。
 居ながら文化が発達しすぎたんです。私はほぼ大半の時間をノートパソコンの前で過ごすことが多くなりました。もちろん、仕事で原稿を打ったり、メールでのやりとりや相談にも答えます。
 それだけではなく、聞き逃した気になっているラジオ番組を聴けるんです。聞き逃しサービスなんてものがあってね。
 たくさんの人がYouTubeで意見を発信しているので気になるのを見ます。
 さらに、癒やされる音楽系もYouTube、見られなかった映画やドラマも。
 教育関係や知り合いのFacebookもチェック!
 

 こんなふうに時間の多くを過ごしてしまうのです。頭と目だけがフル回転。
 本来せっかちなんですけど、この文明のお陰で、やりとりもせっかちになっています。考えていることをメールで発信すると、早く返事が来ないといらつく。保育関係のことを思いつくと早く結論を出したくて、スタッフミーティングの日が来るのを待てない。もう、みんなをかき集めてオンライン会議をしたくなってしまうほどなのです。
 通信手段が簡単で早いというのはくせものです。こんな人が職場に、まして上司にいたらたまったもんではないと思いません? 休みであろうとなかろうと、早朝であろうと夜中であろうとやってくるんですから。(いちおう、相手が寝ているときは読まないと思ってはいるんですけどね)
 ところが本人はよかれと思っていたんです。だって、いろんなことに気がついちゃうんですから。居ながらで頭の中ばかり忙しく、どんどん思いついちゃうんですから。
 でもこれは、相手に考える隙間を与えないだけでなく、信頼しなくなりそうです。「こうすればいいのにどうして?」「だから、こうしましょうよ」「これはまずかった。もっといいやり方考えましょう」なんて、どんどんマイペースで進み要求が細かくなるんです。りんごの木のスタッフは、最近の私に手を焼いているのではないかと今朝反省している次第です。

 

 ひょっとして、居ながらの時間が多くなった家族もそうじゃないですか?
 初めのうちはゆったりした時間に感謝さえしていた。それなりの楽しみ方ができたし、普段できないことも思いついた。ところが、日常化してきたらそれなりに忙しくなり、いままでより近距離にいる家族が気になってしまう。どんどん細かく気になり始めてイライラする。自分の思う通りに天下をとりたくなってしまう。そうすると、相手からの視線もトゲトゲ。尊重し合う関係なんてどこへやら。
 あー、ふと立ち止まりましょう。居ながら文化に振り回されない自分文化を育てましょう。ある意味、自分の本性も見えてきたコロナ時代でした。(6月14日 記)

 

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