ぬぬ

 暑かったり寒かったり、かんかん照りだったりザーザー雨だったり、天気も移り気で、体が振り回されています。
 この数年私のスケジュールにはなかった、月曜から金曜までりんごの木。金曜夜になるとヘロヘロで、土曜日はぐずぐずになってしまいます。私の若かりし頃は週6日制でしたから、よくぞ元気に働き続けたものです。これって、習慣化できるものですかねぇ。
 ほぼ毎日通常保育、しかし、密を避けるための放浪組が雨だと困ってしまいます。親たちも密を考えて、雨の日は休みの子も多くなります。

 さてさて、かんかん照りの日です。昼近くに2、3歳児の家に行きました。すると、部屋の中から外に投げ出されたおもちゃやブロック、積み木までもが散乱しています。さらに、外のジョーロやシャベル、コップまでも散乱し、足の踏み場もない状態。
 ヒエーと思います。
 子どもは1歳半くらいのときは、めったやたらに投げます。けど、この年齢になると、いちおうコントロールできはじめるために、窓の中から外に狙いを定めて投げるのです。
 子どもたちの環境の中で、投げていい物や所はあまりありません。だから、誰かひとりが始めるとキラン! 「おもしろそう」「そんなことしていいの?」と、すぐさまみんながやることになってしまいます。
 そんな子どもたちをながめながら、これは子どもの身体が要求していることなのか、それとも心が要求していることなのかと思いが巡ります。
 重い物も持ち上げるために力を入れて、よいしょ。軽いものは狙いを定めて、つまり野球選手のピッチング練習のように投げるという業を磨いている? もしくは体が体得している?
 心の要求だとすると、日頃の開放されない心情が、物を投げることで少し緩和される。いわゆるおとなたちの八つ当たりみたいなものですね。
 どうなんだろうと思いながらも「まあ いいか」で納めます。

 このあそびは深まることはありません。だって、散らかしているだけですから。特定の遊びに夢中になれば、つまり穴をほったり、砂山を作り始めたり、線路を作り始めたら、眼差しと気持ちは一点に集中していきます。
 あそびは追究して深まっていくのがおもしろいのです。新学期が始まったばかりの今だから、単に投げることに気が向くのかもしれません。つまり、いっとき流行るだけに違いありません。
 もし、開放されるためだったら、しないよりした方が心が軽くなる。今の不自由な時間や空間、子どもたちにだって聞こえているコロナ。コロナから解き放たれたいと思うのはおとなだけではありません。だから、ちょっとでも心の窓に風が吹き込むようなら有効と言えます。
 このあそびのいやなのは、片付けをおとながしなければならないことだけです。片付けを子どもに強いると、もっと面倒なことになりますから「しょうがないねぇ」とつぶやきながら、セッセと片づけている保育者は忍耐強いです。親だったらこうはいかないでしょう。子どもも心得ていて、りんごの木だからやっているのかもしれませんね。
 結局、子どものあそびって正解なのかどうか、子どもの何の足しになっているのかどうかもわからないことばかりです。なんで棒をひろうのか、なんで石が大事なのか、なんでセロテープをどんどん出してしまうのか、なんで人のおもちゃをほしがるのか、なんで水たまりを駆け抜けるのか、なんでバッタやカブトムシが好きなのか・・・・なんでだらけです。
 おとなは頭で納得したいですから、専門家の解説を聞くといいでしょう。
 専門家・研究者という人たちは、この「なんで?」を考えるのが好き、はまったことを追究するのがおもしろいと感じるのですから、ある意味子どもと似ているのかもしれません。そして、確かな正解は出ないにしてもそれらしい訳があるものです。
 肝心の子どもは理屈なんてなんのその「だって、おもしろいんだもん!」につきます。
 私たちだって、頭から解放されて、心を放つこともたまにはしてみたいですよね、
 新コロナによる長いトンネル、心の開放をうまくしてくださいね。子どもといっしょに物を投げたり、新聞破ったり、布団の上ですもうを取ったり、歌をうたったり……だれもみていないと信じて陶酔してみてください。(6月21日 記)

 

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