ぬぬ

 暑かったり寒かったり、上がったり下がったり……まるで、新学期を迎えた子どもたちのようです。泣いたり、笑ったり、いやがったりという波が大きいのは2、3歳児がいちばんかもしれません。保育者にとっては朝がいちばんの難所。家の中より外の方が気持ちが緊張しないようで、いきなり公園に連れていっています。
 りんごの木は4歳からは「大きい組」といい、別の場所になります。先週、初めて見に行ってびっくりでした。テンション高くて大きな声で叫び、またもや<動物村>のようになっているじゃありませんか。この子たちは2,3歳の時に<動物村>と名付けていたのですが、さすがにだいぶ落ち着いて4歳児になっていったはずでした。自由にあちこちであそんでいますが、没頭しているより、はちゃめちゃに手をつけているようにも見えます。つまりデリケートな子たちなんですよね。だって、子ども同士は3歳児の時の顔なじみなんですよ。保育者も一人ずついっしょに上がっています。違ったのは場所だけなのにこの騒ぎ。いちおう、集まる時間を持ちますが、椅子に座るだけで精一杯。話を聞く気にはならず、ギャーギャーうるさい。保育者の問いかけに答えてるのは数人。まだ、5歳児とは混ざっていません。
 新5歳児をのぞいてみると、なんと立派! 30人を越える人数が丸くなって椅子に座り、対話が成立しています。この一年の差はなに? 5歳児は「いちばんぐみ」とよび、りんごの木でいちばん大きい人という自負を持ちます。すっかり人間に成長しています。
 子どもの一年一年はすごいです。
 そういえば、はちゃめちゃの4歳児が、翌日は椅子に座って話を聞いたそうな……奇跡? いえいえ、子どもの一日一日はすごいのです。大波小波をくり返しながら、前進あるのみです。

 新一年生も大揺れしながら過ごしているようです。
 マスクをして登校、給食も始まりましたが、黙食。さらに20分で食べ終わるようにといわれるようです。なにをそんなに急いでいるんでしょう。
 さらに次々やることがあるようです。避難訓練、健康診断……もっと、日常が落ち着いてから新しいことをやってほしいと思います。急いでやるべきことなんでしょうか。子どもたちは思いっきりあそぶこともなく、新しい日常で疲れていることでしょう。
 しかし、これ学校によってだいぶ違うようです。ある子は授業の間に校庭で鬼ごっこをやったと言います。ある子は初めて校庭を走ったのは避難訓練だったと。校長の裁量によってなのでしょうか? 担任の当たり外れを親たちは口にしますが、学校の当たり外れもあるような気がしてしまいます。

 そんな話を耳にしていたら、自分の1年生の頃の遠い昔を思い出しました。私は幼稚園も保育園も行っていなかったので、初めての集団生活が一年生でした。上のきょうだいのPTAで、母といっしょには学校に何度も行っていましたが、自分ひとりで教室に入ったのは初めて。
 一年生のときはお腹の大きい優しい「柳下先生」でした。私は困ると泣くことしかできませんでしたけど、優しく寄ってきてくれました。ところが、産休になってしまったのです。それは今だからわかることで、当時は先生がいなくなってしまったという事実しかわからない。そのあとにどんな先生が来たのかが覚えてないのです。閉ざしてしまったのでしょう。働く側は当然のこと、けど、子どもにとってはよくわからない大きなことなのです。
 二年生は「しまの先生」という男の先生で習字がうまかったです。
 三、四年は「池田先生」小柄でにこやかな先生でした。
 五、六年は、再度「しまの先生」でした。こんなことくらいは覚えていますが、なにを教えられていたのかは全く記憶にありません。楽しくもないけど、つまんなくもなかったです。ただ、行くべき所でした。
 そして、嫌だったのは身体測定と健康診断です。裸になって一列に並び順番を待つ。そのときの嫌な気持ちが、今りんごの木で、健康診断を行政から要求されていることに素直にうなずけない自分のルーツがあることを発見した気がします。
 先日、一年生の子どもが「なんで、(身体測定を)やらなきゃいけないの?」と言ったんです。それを聞いて自分のことが思い出されてピンと来たのです。
 私はすごーく細かったのです。健康診断で毎回「栄養要注意」と書かれていたと思います。そのたびに母が「風邪もひかないし、だいじょうぶです」と説明していました。細いことは恥ずかしいことだったのかもしれません。こんなに時がたってから、いろんな思いが掘り起こされるのですから、人生はやっぱり繋がって今があるんですね。

「マスクで苦しいでしょう?」「だいじょうぶ、鼻だしたりするから」と、子どもたち。
 なかなか帰ってこない子どもを探しに出たら、公園をはしごしていたのを見つけて、ちゃんと帰ってこないといけないと話したら、集団下校が終わったから、自分の好きでいいのかと思ったそうです。「学校からは通学路を帰ってこなければいけない、心配するから」と話したら「そうなんだ」とケロッとしていたと母の話でした。
 私よりはずっと逞しい子どもたち。
 いろんなことが昔よりはるかに縛りがきつそう。けど、そのぶん隙間から芽を出す植物のような力もついているのかもしれません。そうだったらいいな。 (4月25日 記)

 

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