ぬぬ

 自然界の動植物はきちんと季節をたどってくれていますが、気象状況が気温差も大きいし雨の降り方も尋常ではない気がします。これからは、変化していくのでしょうか? 
 金曜日は土砂降りでした。強いシャワーです。でも、子どもたちは外! 雨が降っていることを楽しんで駆け回っています。部屋の中には数人。まあ、気温が低くなかったので安心して見ていられましたけど。
 コロナウイルスになってから、外で過ごすことが多くなった子どもたちは、どんどん大胆になってきています。でも、感性は鈍くなったということはなく、自然を身体で感じることには敏感になっていると思います。気象状況とこどもは仲良し? いえ、子どもも自然物なんです。
 だんだん夏になり気温が高くなってくると、当然水遊びが始まります。なにしろ自然物ですからね。でも、水遊びが始まると、キャーキャーと叫び声がうるさい、通りがかりの人に水がかかりそう、無駄遣いと注意を受けるなど、一般のおとなにとっては顰蹙(ひんしゅく)ものです。20年以上この場でやっていますが、年々厳しくなっている。特にコロナになってからは、お叱りが多くなった気がすると保育者は頭を抱えています。子どもの遊びとしては当たり前なのですが、おとなにとっては常識外れのやりたい放題となってしまうのです。だから、変ですが、雨の日大歓迎の子どもとりんごの木のおとなです。天から浴びるほどの水が、どんどん流れてくるのですから。この場合は「使い過ぎ」も「もったいない」も「水たまりができるじゃないか」もないですからね。
 おとなと子どもの感性の境はどの辺にあるのでしょうね。やり過ぎかどうかの尺度はおとなの顔色から子どもはキャッチしていきます。周囲が厳しければ幼児であってもはやくおとなになるのかも? 小学生高学年くらいになるとしぜんとおとな判断ができるようになるのかしら? いえいえ、おとなが見ていなければ子ども感性は中学生でも発揮しますから、だんだん状況判断によるコントロールがきくようになると言うことでしょうか。そうしているうちすっかりおとな感性になってしまう。私たちのように、いつまでも子どもと過ごしているおとなは、子ども度が抜けきれないのです。それはうれしいことだと私は思っています。人間の芯は子ども心だと思っているので、いつまでも健在にしたいです。
 
22 話は変わりますが、5月21日山梨県北杜市にある「ぐーたら村」で、夏季セミナーの撮影がありました。
 つれづれ659回でお伝えした生命誌の中村桂子さんと「ぐーたら村」の小西貴士さんに「地球に生きていること」というテーマでお話しいただきました。(よかったら以前のを読んでください。私の興奮が伝わると思います)
 その日、中村さんと私は初対面です。お迎えにうかがって、3時間近く車で移動、その間役得でおしゃべりさせていただきました。すでに、講演の一部といったところ。同じ干支で一回りも上の方ですが、頭も心も驚くほどシャープです。話題は戦争のことから、寅さんまで。
 到着したときには降っていた雨も止みました。
 中村さんと小西さんとも初対面。小西さんの案内で「ぐーたら村」を散策。おいしいお昼をいただいた段階で、中村さんの「来てよかった!」と思ってくださっているのが伝わってきました。そのくらい、二人はわかり合える考え方なのでしょう。中村さんの研究と、小西さんの暮らしが重なったのだと思います。私にはよくわからない話だらけではありますが、この二人を会わせられたことに満足していました。
 あとはセミナーでご覧いただくとして、小西さんには「いいプレゼントありがとう」と言ってもらい、中村さんには「ぐうたら村での時間、本当に素晴らしかったです」と言っていただきました。私にとっては夢が実現した一日となりました。
「ぐうたら村」の周辺は新緑で、それはそれは美しかったです。小さな花が咲き、土の感触は気持ちよく、私の芯にある堅くなった種に水を撒いてもらったような気持ちになりました。みんなは帰ったのですが、私は翌日の仕事上、そこに泊めていただきました。朝はまず薪をくべ、飼っている烏骨鶏(うごっけい)の卵スープをいただき、火を囲んで朝食。豊かな暮らしを感じました。私の日頃の貧しい暮らしが浮き彫りになりました。まあ、帰るとじきに貧しき暮らしに馴染んでいますけどね。
 やっぱりときどき地球に生きていることを自覚して、地に足をつけ、緑の空気を吸い、鳥の声を聞いた方がいいですね。子どもたちもこんな環境で、人に気遣わずに思う存分あそぶ機会が必要ですね。これからの子どもたちが地球を大事にするためにも、自然環境の中でホッとする感性を持ってほしいです。 (5月29日 記)

 

 

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