ぬぬ

 夏のように暑かったり、羽織るものがほしいほど涼しかったり、気温差に振り回されて、疲れますね。
 暑い日、5歳児の子どもが「おねがいがあります。プールをだしてください」と保育者に頼みに来たそうです。まだ、奥にしまってあったけれど、時間もかかるけれど、真剣なお願いに応じたそうです。水遊びするときの子どもの声「キャー、キャー」 あれはどうにもなりません。あ〜、どなたかから電話かかってくるかなぁと覚悟します。
 畑とよばれている空き地では、大きな竹を切って四角に組み、ビニールシートをかぶせてプールをつくります。もちろん、まだ五月ですから作ってはいませんが、竹はいただいてきて置いてありました。こちらも「つくりたい」と言い出しました。なんと、竹を寸法に切るところから始まります。つくづく自分たちから「やりたい」と言いだしたものには、真剣にがんばるものだと感心しました。ノコギリで切るところから始まったのです。その場面を見ましたが、今日は無理だなと私はその場を離れたのに、昼くらいにはできて、入ったそうです。
 暑いと感じるとなんとかしよう、雨だとわかるとなんとかしようと、考えられる子どもたちはすばらしいと思います。すでに水着を持って来ている子もいます。そして、これにつきあう保育者も偉いとしかいいようがない。顔や腕はすでに黒々としています。それだけ疲労感もあるでしょう。通りすがりにしか眺めない私としては、心から「ありがとう!」です。


 この二週間もいろんな所に行き、いろんな方々とお目にかかりました。
 広島はサミットで警官だらけ、制服の胸に「神奈川県警」と書かれているので「神奈川から来たんですか? 私もです」と、思わず話しかけてしまいました。暑い中立っているだけだったので話したかったようです。「全国から来ているんですよ」と、にこやかに二言三言会話しました。でもね、今日第三京浜を走っていたら、スピード違反で捕まっている車があり「あれ? こんな日にこんな取り締まりしなくたっていいのに。行かなかった人なのね」と思ってしまいました。
 この二週間は対面の講演ばかりでした。オンラインは移動に時間と体力がかかりません。そういう意味では楽なのですが、やはり目の前の人に話しているのはたのしいです。普段も言いたい放題していますが、さすがに、前にいない、どんな人が見るかわからないときは、ちょっとは意識します。顰蹙(ひんしゅく)をかいそうかなぁ、言い過ぎかしらってね。ところが、目の前にいる人を見ながらだと、頷いてくれる人、食いつくように見てくれている人、しかめっ面の人、いろんな表情が見えるので話が自由に飛んでいきます。どこか安心なのです。話し終わった後も話しかけることができますしね。

 

 さて、つい先日は小学校一年生の親たちの会がありました。子どもたちの話を聞かせてもらいました。学校という全く違う場所にいった子どもたち。りんごの木からはかなりハードルが高いです。なにしろ文化が違います。子どもたちの反応はいろいろのようでした。今までと違うルールを喜んで楽しんでいる子もいます。まさに、外国に来たようなものでしょう。かと思えば、なんとなく堅苦しくて、給食を頼りに行っている子もいます。ひたすら図書館に通っている子もいました。
 その話の中で驚いたことは、ジャングルジムがペンキで色分けされていて、○○年生は何色までと決められているそうです。かつて、こういう保育園があって驚いたものですが、小学校までそうだったんですね。りんごの木の子どもは木登り上手なんですけどね。雨の後のグランドも赤い旗が立っていたらあそべない印だそうです。運動会でのダンス、「グー、ピタ、ピン!」の座り方、毎日の宿題と……想像以上に決まっていることがあるようでした。そうそう、朝の校門が開いているのは10分間なので、その時は通勤ラッシュのようになりますという話には大笑い。りんごの木で培ったものは、子どもたちはどうなってしまうのでしょうと、親は心配していました。私は経験上「だいじょうぶです」と言いました。かつて身につけたものは簡単にはげやしません。いま、新しいことにわくわくしてもいい、いやいややってもいい、疑問を口にできなくてもいい、新しいときはいったん思考停止ですからね。やがて、それぞれが自分を取り戻し、自分の気持ちや考えと環境との折り合いをつけようとします。長い時間かかるかもしれませんが、自分のやり方の着地点を見つけて行きます。なにしろ、たいした子どもたちなんですから。
 まあ、新しい生活が始まって、子どももおとなも六月半ばになると日常となって落ち着くと思います。 

                                         (5月21日 記)

 

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