ぬぬ

 呆れるほどの暑さが続き、もはや熱帯地域になってしまったのだろうか?雨の降り方も尋常ではないし、コロナもインフルエンザも流行り、学級閉鎖になっているところもあるらしい。何だかぐちゃぐちゃ気分。
 だけど、急に涼しい日がやってきました。秋の気配にホッとします。ちょっと元気になれそう。
 7月に5歳児が一泊で北丹沢「ペガススの家」に行きました。
 その時は体調が悪くていけなかった子が5人、途中で発熱のために泊まらずに帰った子が二人いました。そこで、リベンジです!
 泊まるというのはできなかったので、朝早くに出て行き、夜ご飯を食べて7時半にかえってくるという計画で出かけていきました。行く前日に台風騒動はあったものの、雨も降らずに程よい天気となりました。
 こういう計画は子どもとのミーティングで進んでいくので、突然決まります。なので、私は行けませんでした。すでに講演予定が入っていました。
 やはり季節は秋で、川の水は冷たく、すぐ出てきてしまったそうです。でも、カニを捕って揚げて食べたり、夜のカレーを作って食べたり、火遊びをしたり、長時間をもてあますこともなく楽しんできたようです。
 私は暗くなった7時過ぎに帰着する「青りんご」に行きました。
 暗いなかに子どもを迎えるといういつもと違うことに、なんだかわくわくします。
 まだかしら、まだかしら? と、子どもを待ち望む気分もわくわく。
 次々と親たちがやってきます。薄暗い中でおしゃべりも、なんだかいつもと違います。
 夜というだけで、こんなに気分が違うのでしょうか?
 ずっと前、そんな気分が欲しくて、夜に集まって「お話を聞く会」をやったことが思い出されます。夜集まって、楽しいことがあって、暗い中を親子で帰っていくというのは、なんだか家族が穏やかで豊かな気持ちになれる機会にもなっていたように思います、そう、昔の村祭り、盆踊りの気分です。イベント的な催し物は多くなりましたけど、近所単位のこういうのが少なくなった気がします。コロナもあって、人のつきあい方が希薄にもなってしまったと感じます。
 子どもたちを待っていたとき、ひとりのお母さんが「保育園って、このくらいの時間のお迎えですよね」とつぶやきました。そうでした、7時過ぎごろは、まだ保育園児は結構います。何だか妙な気分になりました。 りんごの木は日常の保育時間は9時から午後2時です。まだ、明るい中を帰っていきます。幼稚園時間と同じぐらいです。
 これから冬に向かえばなおのこと、保育園児は暗い中を家路につく。日常化してしまうと、当たり前のことになるんでしょうか。だったら、逆に保育園の早帰りの特別な日もいいかもしれません。親子でお日様のあるときに帰るのはわくわくするかも? 日常にぽとんとしずくが落ちるような、非日常のアクセントもいいなぁと思いました。

 話はすっかり変わりますが、今日は保育雑誌を見ていました。最近、取材や対談に応じることも多く、それぞれに完成した本を送ってくれます。それがたまっていたので、洗濯しながら読んでいました。そしたら素敵な園がいっぱい出てきます。特に園訪問のような記事はカラーですし、園舎も園庭も園の方針も素敵です。いいなぁ、こんなのが欲しいなぁと、よだれが出ます。若い頃も園を尋ねたり、話しにうかがったりすると「ここが欲しい!」と思うことがよくありました。こんな園で子どもたちを保育できたら・・・と、思ったのですが、ちょっとまてよ! 子どもはどこにだっているじゃない。いい環境で、いい保育内容で育てられる子ばかりではない。子どもが選ばないで生まれてくる。そして、どこでも生きる力を持っている。保育をする側は、よりよい環境、よりよい園舎、よりよい保育内容を考えるのは当たり前かもしれないけど、それがすべての子に保障できるものではない。

 りんごの木を始めたころ、園舎園庭をもった保育施設にするにはと、ソロバンをはじきました。とんでもない額でした。無理! 借金して始めたら、経営のことしか考えられなくなりそう、それはしたいことではないと思ってあきらめました。その頃から「自分の手に負える範囲」と決めました。そしたら、今のようにヤドカリ状態、地域を使わせていただきながらの保育が続いています。それでも寄ってきてくれる人がいて四一年目を迎えられているのですからありがたい。何より自慢の親子の人脈という大きな木が育ったのだから、私は私でいいと納得しました。自分なりの力量にあった生き方しかできないですものね。「身の丈に合った」という言葉もあります。これでよし! です。                       (9月11日 記)

 

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