朝のラッシュ時間に名古屋に向かいました。
ぎゅーぎゅー詰めの山手線、人手不足ってどこ? こんなに溢れているじゃない。
手すりさえ空いていないので、ふらつくからだ。だのに、スマホを見ている人だらけ。
しかし、昔も「この人ゴミの中で新聞広げて読んでいるおじさんいたなぁ」と思い起こしました。
みんな何もしないことができない習性? どうしたって、隣の人のスマホが見えてしまいます。買い物チェックリストと書かれていたところに「ホットケーキ・ミックス」と書き入れていました。こういうことも書いておくのね、つまりメモ帳。この人ごみの中に空々しい車内放送「病気の方、お年寄りの方には席をお譲りください」が機械的に流れていました。
品川で怒濤のように流れ出る人に交じって私も。なのに、意地になって逆行して空いた椅子めがけて行く人が、怖い。
新幹線に乗ってほっと。名古屋はすぐなので通路側の席を取っていました。次の駅から三十歳くらいの男性が乗ってきました。窓側に座るときも会釈もなし、まあいいか。即、テーブルを出しパソコンを開きました。スマホも操作しながら・・・・全く仕事が始まりました。
パソコンとスマホがあれば、どこだって仕事が進められるのです。周りを見るとそんな人が数人います。やっぱり私、窓側で景色を見ればよかったと恨みがましく思いました。
やがて、スナック菓子とコーヒーを片手に飲み食いしながら仕事。私が母だったら「どっちかにしなさい! 仕事? 食べる?」と言いそうです。そして、同じ名古屋で私が見えていないかのように前を通り過ぎて降りていきました。
今日は私立幼稚園の保護者の方々。熱心に聞いていただき、気持ちよく話し、たくさん本を買っていただき、サインに一時間半。ありがたいことです。
帰りの新幹線は、窓側だったのにすぐに爆睡。目が覚めると外は暗くなりつつある黄昏時。雲が美しいです。家の灯りがポツポツ灯って美しいです。この時間が好きだなぁと見入っていました。隣には誰もいません。
さて、品川からがまた混む時間になってしまいました。立っていたのですが、駅に着くと優先席がひとつ空きました。なので、座りました。ところが入ってきた人が大きな声で「だれか、座らしてください」と言いましたので、反射的に立ちました。その方は足が悪いのでしょう。杖をついているだけではなく、ほんとに大変そうに真っ直ぐやってきて座りました。
でもね、無言で当然のように座ったかと思ったら、膝にスマホを乗せて動画を見始めたのです。なんか、釈然としない私がケチかしら? やっぱり譲る方も、譲られる方も「どうも」「いえいえ」くらいのコミュニケーションというか、マナーがあってもいい気がするんです。
いろんなところで、ちょっとした気遣いがあればいいのにと思うことがよくあります。繋がることを拒否しているというか、人が見えていないというか、人には気持ちがあるのを感じないようにしているというか。人口密度が濃いと繋がりたくなくなる? 人口密度が少なくなると繋がりたくなる? 繋がりたい人が群れて、繋がりたくない人が散るのがいいのにね。
電車で移動する度に思うところがあり「乗りもの物語」が書けそうです。
前々回のつれづれに「自分を使い切る」なんて、格好いいこと言ったのですが、ふと思うに私は口と体と心でできているみたい。一番始めに使い切ってしまうのは体みたいな気がしてきたんです。だって、膝が痛いんです。立って話しているのは平気なんですが、駅までの道や交通機関の階段がイテテテテとなります。どこかブレーキ掛けないとやりすぎるから丁度いいのかもと思わないでもないのですが、ちょっと待てよ、歩けなくなったらご依頼を受けても行けなくなるじゃないですか。いくら口が達者でも・・・オンラインだけになるのも寂しいしね。まずは歩くことが不自由にならないように心掛けなければいけません。これが歳を取ると言うことでしょうか。案外、バランスよく使い切っていくというのは難しいのですね。
さーて、明日は今週初のりんごの木。子どもたちに会います。たのしみ! (12月5日 記)
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