21日は島根県吉賀町に伺いました。
岩国錦帯橋空港は山口県ですが、そこから車で山沿いの道をくねくね一時間程登っていくと島根県に入ります。そこから30分程度にご依頼いただいた町があります。
この一時間半に及ぶドライブが、それはそれはよかったです。山々が周囲を囲み、まさに新緑が始まって若草色もあれば濃い緑もある、その中にときどき桜やツツジの花が咲いています。もう、「きれい! きれい!」の連発でした。下は川なんです。川岸も広く、水は澄んでゆったりと流れています。「この川で子どもたちはあそぶんですか?」と迎えに来て下さった保育所長のかたに尋ねると、「そうなんですよ。初めての子は歩けなくて、大きい子が手を引いて歩くんです」「カニも魚もいます」とのことです。一時間半の間、民家がぽちぽちとあります。自然に混ざるようなしっとり感があります。田植えがまだの畑からはカエルの声が聞こえます。もう景色に魅せられてしまって、集まった保育者の方々になにも話さなくていいような気になっていました。
そうはいかずに始まる前に夕飯をと、レストランによばれたのがまだ夕方の4時でした。その日の講演が夜6時半〜8時半なので、終わってからではどこもお店は開いていないので、早いけれどとなったわけです。
その町には保育所は4園。一番大きいのが子ども60人、小さいのは25人くらい、全部私立で公立はないそうです。なので同じ職場で働き続ける方が多いとのこと。りんごの木のように保育者に移動がなく、子どもは大きくなり、おとなは徐々に歳を重ねているという感じです。もうすぐお神楽があって子どもたちも出るんですって。
そうそう、だいぶ前から保育料は0歳児から無料、給食費も無料。医療は18歳まで無料。なんか、優遇されていますよね。主な仕事は農業のようです。
そんなところなのですが、保育士さんたちへの講演テーマは「主体性を尊重する保育」 今は日本の隅々まで、同じ指針が通達されるためこんなことになってしまいます。「主体性って?」と戸惑う保育者は多く、言葉の解釈に翻弄されます。日常ではない言葉と要求にどうしていいかわからないために、こういうテーマで依頼がきます。「保育士さんたちはまじめなんです。だから、言われた正しいことに努力しようとしています」と、所長さんの言葉。
ここのように豊かな自然と昔ながらの文化に囲まれ、人数の少ない保育園で保育士さんに愛され・・・・で、十分ではないでしょうか? 子どもを並ばせたり、作り物を指導したりという時間もあるかも知れません。でも、ピリピリ感のない日常の中にあれば、独自の保育があってもいいと私は思いました。
ここのみなさんはこの自然の豊かさや、保育の楽しさを特別感じていないかもしれません。けれど、よそに行ったり、大きくなったとき、豊かな環境にあったこと、楽しかったことが人の力になっていくだろうと思います。りんごの木を卒業していった子が、「いたときは楽しいとか自由だとかって、全く思わなかったけどね・・・」と言います。同じではないでしょうか? 子どもひとり一人が尊重され、その子らしく生きていくことを大事にしたいから「主体性」と言われ始めたのです。自然体で尊重できているならそれでいいのです。多様性という言葉を使われますが、保育や教育も土地も含めて多様性が尊重されるといいとつくづく思いました。(ちなみに、ここもすべてがハッピーというわけではありません。さまざまな問題は抱えているようですが、それはそれとして)
宿は温泉でしたがお風呂は10時までです。終わって駆け足でお風呂に直行! 露天風呂からは星空、バックミュージックはカエルの声でした。心安まるところでした。 (4月24日 記)
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