柴田 愛子    

パッチワーク=福島裕美子 
  

 りんごの木の小さな庭に、イチジクの木が植わっています。

 私が子どもの頃は、どこの家にもイチジクの木が植わっていて、実を食べたものです。どういうわけか、イチジクの木はどれも、トイレの近くにあったような気がします。そして、イチジクといえば、カミキリムシがつきものでした。
 私の家のイチジクはこんもりと低く繁っていましたが、りんごの木の庭のは、どんどん天に向かって伸びて、二階のひさしに届きそうです。
 植えられてから数年たった今年、たくさんの実がなりました。
 色づくたびにとって、ひとつの実を四分の一か、六分の一ずつに切って食べていました。

 そろそろたくさん色づいたので、保育の子どもが帰ったあと、長いはさみで採っていました。
 切るところまではいいのですが、ボトンと地面に落ちてしまいます。熟したおいしそうなのを洗って食べていました。
 それを、午後の教室にやって来たかいくんに見られていました。
「さっき、なにたべてたの?」と聞かれたので、
「イチジク。まだなってるよ」と言うと、
「とっていい?」
「いいよ。だけど、まだ緑のはおいしくない。紫になってるのをとるといい」
「わかった」と言ったかと思うと、彼はイチジクの木に登り始めました。木は登るには細いし、雨でぬれているしで、気が気ではありません。
「そんなとこまでいって、だいじょうぶ?」「ぬれているから、気をつけなさいよ!」「そっちの枝は、細くて危ないからダメだよ!」と、叫んでしまいます。

 考えてみると、かいくんは3歳のとき、物置の屋根の上にのったり、ロープにぶら下がったり、サルかオランウータンのような子でした。もちろん木登りも上手、その身体の動きはすばらしいものがありました。
 今、2年生です。卒業して2年ですべてを忘れ去ることはありません。積んできた経験はなくなることはありません。叫んでいる私より、遙かに彼の方が判断ができるのに気がつきました。どんなにおいしそうな実がなっていても、無理と判断した枝に足はかけません。もう、私は黙っていることにしました。

 かいくんは、まず最初にとったイチジクを、大好きなキャピくんにあげたいと思ったようです。
「キャピ! キャピにあげる」と渡しました。
 キャピくんはしばらく眺めていましたが、ポイッと地面に投げてしまいました。
「なにするのよ! せっかく、かいくんが大好きなキャピくんにあげたのに! 砂がついちゃったら、おいしくないじゃない。もったいない!」
 もう、私はプンプンです。ひろって洗いました。皿にのせると、
「これ、たべれるの?」とキャピくん。「ぼく、しらなかった」って。それは、悪いことしました、失礼!
 
「あみ、もってきて!」
「はい。はい」
「こっちはぼくがもっているから、あいこは、はさみできって!」
「はい。はい」
 いつの間にか、私はかいくんの助手になっていました。かいくんは全部で5個とりました。とり終えたかいくんは、おいしそうに食べました。「これ、はじめてたべた」って。
 キャピくんは、おそるおそるちょっと口に運びました。
「おいしい」って言いましたが、二口目にはいきませんでした。
 他にもやってきた子どもたちは、不気味な物を見るようで、口にはしませんでした。

 毎年「これって、買う果物じゃないわよね。高いなー」と思いながらも、スーパーで買ってしまいます。
 思い出の味がするからでしょうか。
 でも、だんだん、お店の店先から姿を消していくのかしら・・・。(10月9日 記) 

 

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