つれづれAIKOの5回目で、今年早々に畑(写真左)が荒らされたことを書きました。13回目の2月末には、かなりひどく荒らされたことを書きました。
その後、この土地は「人のもの」であるしるしに、木の柵と扉をつけました。またげる程度のものです。近くの小学校やりんごの木の親たちの協力もあり、無事な日が続いていました。
ところが、11月末、イチゴ畑に踏み跡があり、柵とツリーハウスの鍵が壊されていました。
12月始めには、柵とツリーハウスの鍵だけでなく、窓ガラスが割られ、破片が散乱していました。(その下は子どもたちが泥団子を作る場所にしていましたから、しばらく裸足、土いじりをやめてもらうことにしました。)
もしかしたら、柵があること、ツリーハウスには鍵がかかっていたことなどに対する抗議かもしれないとも受け止めました。だって、アンズの木の上にある白い家は、とっても魅力的です。でも、中をのぞこうとすると、鍵がかかっているのですから…。
この家は小学生たちが一年半かけて作りました。作った人たちにとっては、大事な、他人に侵入されたくない家です。しかし、よそから見る小学生は面白くないかもしれません。もちろん、だからといって、壊していいことにはなりませんが。
ツリーハウスに関しては、作った子どもとスタッフで、今後のことを考える事になっています。
それはそれとして、今回憂えていることがあります。
壊されたツリーハウスには、ビニール袋にはいった茶封筒が、ガムテープで貼り付けられていました。
その封筒には、子どもの字(かなりしっかりした高学年の子のような字でした)で「ガラスをふざけて割ってしまいました。少しですが、ガラス代をべんしょうします。どうもすみませんでした」と、書かれていました。
中には五千円入っていました。
名前も住所も連絡先も書かれていません。
しかし、親が書かせたことは一目瞭然です。怪我をしたかなんかで、ばれてしまったのでしょうか。
親がとったこの対処を、どう思いますか?
往々にして親は、子どものやったことをなんとか尻ぬぐいしようと焦り、こういう方法をとりがちなのではないでしょうか。
でも、これでは子どもが懲りないだけでなく、今後も、まるで親の人間性を確かめるかのように続ける例が多いと思うのです。
子どもの不始末を今後の子どもの成長の糧にしていくには、子どもを引き連れて親も詫びに行く(来る)、逃げずにちゃんと片を付けなければいけない、というのが私の考えです。
今の小中学生にはゲーム感覚で万引きをしている子も多いようです。けれど、親にばれ、引きずられて店に謝罪に行かされ、親も頭を下げる姿を見て「もう、しない」と思う子は多いようです。小学校高学年でも、親の涙が判断基準になり、ブレーキになることを子どもたちから聞きました。
家の中だけで処理してしまうのは、決して子どもによいとは思えません。やはり、やったことをちゃんと客観的にわからせ、相手の怒りや辛さ、親の悲しみを伝えなければ、子どもの糧にはならないと思うのです。まして、お金で片を付ける方法は最悪です。
子どもは何でもやってみてしまいます。やってしまったときのおとなの対応が肝心なのではないでしょうか。
子どもを思う親心が、子どもの自覚を奪ってしまう。
子どもを思う親心が、子どもの自立を阻んでしまう。
自分のしたことを、きちんと自分で引き受けさせる親心を! と思います。(12月11日 記)
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