柴田 愛子    

パッチワーク=福島裕美子 
  

 前回のつづきです。

 雪の高岡からの帰りの列車は、左に一面の白い平原そして日本海、右に山々が連なり、それはすばらしい景色でした。
 でも、右は少々まぶしかったので、ほとんどの人がカーテンを引いていました。仕方なく、私は席を立って乗車口から景色を眺めていました。

 私の席のすぐ横には、夫婦と子ども3人が座っていました。家族旅行でスキーに行った帰りのようです。
 お母さんは昼寝の合間に、3つの玉ごっちの世話をしていました。
 子どもたち3人は、それぞれゲームを持っていて、電子音をカチカチとさせていました。
 お父さんは耳にイヤホーンを入れ、音楽を聞いているようでした。
 みんな無言です。
 人に迷惑ではありません。
 でも、なんか貧しい気がしました。
 兄弟がけんかしたり、ふざけあったり、景色を見るなり、なんかないのでしょうか。
 こんなふうに日常の無駄話が苦手になっている親子は、多くなっているのかもしれません。

 その家族の前の席には、まだ生後6ヶ月くらいの赤ちゃんを連れた夫婦が座りました。
 赤ちゃんは泣きます。お母さんに抱かれると少しいいのですが、お母さんがトイレに行こうとお父さんに抱っこを代わると、泣きます。
 私が優しい顔を見せると(自分では顔の表情で語りかけているつもりです)、じーっと見ています。しばらくはもちます。
 だんだん眠くなってきたのでしょう。ぐずり始めました。眠いけれど眠れない・・・そんな感じなんでしょう。お母さんは、赤ちゃんを抱っこして通路に立ち、揺すります。
 ずーっと、ずーっと、そんな感じが続きました。やっと寝付いて座りましたが、熟睡ができないために、目をつむったまま、ちょこちょこ泣きました。 
 行きと同じく、越後湯沢で新幹線に乗り継げないので、ちょっと大回り、長岡で乗り継ぎとなりました。降りるときその方に、
「ご苦労様だったわね。子どもも寝たいのに寝れなかったから、大変だったのよね」と、声をかけましたら、
「私、もう、お正月に絶対帰らないことにします。こんなに泣いちゃって」と言います。
「あら、お宅のお子さんは静かなほうよ。ちっとも、迷惑じゃなかったわよ。子どもだって大変だったのよ。だいじょうぶ、来年には大きくなっているから」と励ましました。
 自分自身のことだったら周囲に気遣いができるし、ひんしゅくをかうことはなかったのに、幼いわが子にはどうにもできない切なさを感じていたことでしょう。

 まだ言い聞かしてもわからない(できない)子に、電車の中で叱り続けているお母さんを見かけることがあります。
 周囲の人々の視線がビンビン伝わってくるけれど、子どもをどうすることもできないことがわかるから、自分の気持ちを叱るということで吐き出さざるをえないのかもしれないと思いました。幼い子はどうにもならないことを、もっと世の人に知らせなくてはいけません。
 思いつきました! 
 女性車両があるくらいなのですから、年末年始や夏休みには子連れ車両をつくるのはどうでしょう。
 子どもが集まったら、それはうるさいことでしょう。でも、子ども同士で遊び始めるかもしれません。車両の三分の二は椅子を取っ払って、床のままがいいかも。

 長岡からの新幹線は、本来の乗り継ぎにならなかったために、持っている指定券が使えませんでした。ホームで戸惑っているあの親子の姿を見かけました。無事に家までたどり着けたでしょうか。くたくただったでしょう、親も子も。

 さて、私は座れました。
 お隣に六十代の美しいご婦人が座りました。この方は、姑の介護に行った帰りということでした。
 ご主人は長男なので、仕事を辞めてご両親の介護に実家にもどられたそうです。半分わからなくなっているお母さんに三度のご飯を食べさせて世話をしても「ありがとう」と一回も言われたことのない辛さを話していました。ずーっと、着くまで介護のお話しでした。
 途中腹ぺこの私、車内販売のお弁当は売り切れと聞いて愕然としましたら、その方が、「雪のときは、車内に閉じこめられたり、鈍行で帰らなければならない事態が生じるかもしれないから、水と食べ物は持っていなくちゃいけないのよ。私もかつて知らなくて、周りの方にわけていただいたことがあるの」と言いながらカステラとチョコレートをくださいました。

 ふと気がつくと、外の景色に雪は全くなく、まさに冬の国からいっきに春の国に運ばれてきたようでした。なんだか、すごくいろんな方と触れあった旅だった気がします。
 ただいま。(1月15日 記)


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