柴田愛子

 いよいよ、5歳児の卒業を迎えます。
 いままで日々を共にしてきた子どもとの別れの寂しさと、大きくなっていく子どもたちにエールを送る気持と、今までの保育の反省とが入り交じり、なんとも複雑な心情になります。

 子どもたちも、期待に胸を膨らませているばかりではありません。大きくなる喜びと、新しいことが始まる不安とが入り交じっていることでしょう。
「小学校へ行くの、うれしい?」と聞きますと、うれしいという声に混じって、
「ともだち、できなかったら、どうしよう」
「がっこう、ひろいから、まいごになったら、どうしよう」
「きゅうしょく、たべられなかったら」
「せんせい、こわいかも」
「トイレがこわい」
などと言い出す子もいます。
 そんなとき、私も小学校が恐かったこと、泣いてばかりいたこと、毎朝お腹が痛くなったことを話します。
 これ、ホントの話なんです。
 今やすっかりおとなで、恐いものなんてないような顔に見える私が、そんな子どもだったことを聞くと「えー?!」と言いながら、ちょっと安心するようです。「なんだ、自分ばかりじゃないんだ」ということでしょう。
 おとなも、子育てで苦労しているのが自分ばかりじゃないと知ると、ちょっと安堵するのと同じでしょうね。
 わが子が不安を感じていたり、心配を抱えていると、なんとか不安や心配を解消して、安心して小学校に行ってほしいと思うのが親心かもしれません。
 でも、ほんとのところ、子どもの心配を親が解消してあげられることはない気がします。

 以前、5歳児の夏のキャンプに行くとき、「いきたいけれど、しんぱいで、どきどきする」と言っていたほのちゃんに、お母さんは「心配は心配のままでいいから、心配を抱えて行きなさい」と送り出してくれたことがあります。
 ほのちゃんは、昼間は心配が小さくなりましたが、夕方には心配は膨らんで、泣いて保育者に抱かれました。けれど、朝は「とまれた。おもしろかった」と元気になって帰宅しました。
 そのほのちゃんが、卒業式前に言いました。
「しんぱいだけど、だいじょうぶ。おとまりしたときもそうだったから」
 そうです。子どもは前に進むとき、心配を抱えます。
 でも、それを乗り越える力があるのです。
 乗り越えた体験は、回数を重ねていくうちに、経験としていきていきます。
 親がどんなに手助けしても、心配を軽くはできても、取り除くまでにはならないのです。

 いちばん困ったことは、親自身も心配なことです。
「うちの子、大丈夫かしら」
「先生の話、聞けるかしら」
「ずっと座っていられるかしら」
「友だち、できるかしら」
 そして、その心配を無意識に子どもに背負わせてしまいがちです。
「先生の言うことをちゃんと聞くのよ」
「ちゃんと座っているのよ」
「困ったことがあったら、先生に言うのよ」
 さらに、
「そんなことやってると、友だちにきらわれちゃうよ」
「ちゃんと話さないと、先生にわからないでしょ」などと。
 子どもは自分で心配を抱えています。その上、お母さんの心配まで背負い切れません。親は自分自身のことではないだけに、よけい心配でしょうけれど、ぐっと我慢。始まってみて、困ったことが起きてから考えましょう。

 りんごの木に、ドイツ人の子どもがいます。子育てのお国柄の違いは、様々なところでありますが、日頃、お母さんの「ノー」「イェス」は絶対のように見えます。やさしい方ですが、肝心なところはかなり厳しいです。その子が「しょうがっこうにいくの、たのしみ」と言いました。
「どうして?」と聞きますと、
「しょうがっこうは、たのしいから」と言うので、
「どうして、楽しいってわかるの?」と聞くと、
「だって、ママがたのしいっていった」と堂々と答えました。
 私はハッとしました。どちらかというと、子どもの心に添うことを大事にして、気持ちを聞いてあげよう、不安に対して共感することで不安をやわらげようとしてきましたが、こんなふうに「楽しいから」と、背中を押す方法もあることを忘れていたような気がします。
 日頃の親子の関係やタイプで違うでしょうけれど、寄り添う方法もあるけれど、押し出す方法もありでした。
 みんな、新しいことを迎えるときの気持は、ワクワクとドキドキです。私だって、いまだに、新学期の新しい子を迎えるときはワクワク、ドキドキですから。
 それぞれが期待と心配をもって、一歩踏み出しましょう!

(卒業式が終わるとりんごの木は春休みです。すみませんが、「つれづれaiko」を2回お休みさせて頂きます。相談もお休みです。4月10日から再開しますので、それまでごきげんよう!)(3月19日 記)


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