連休明けは、つれづれAikoをお休みしてしまいました。4月からの新しい生活で疲れているから連休はゆっくり過ごしましょう、と皆さんに言いながら5日続く休みに予定を入れてしまった私。連休明けはやっぱり疲れてしまって、一週間の長かったこと。
先週、1年生になったAちゃんが、学校を休んでりんごの木へきました。学校の話を聞いてほしいと言います。
朝になると、お腹が痛くなるそうです。彼女曰く、
「よるは、いたくならないの。あさ、がっこうにいかなくちゃとおもうと、いたくなるの。だからこれは、からだがおびょうきなのではなくて、からだが、がっこうをいやだっていってるんだとおもうの」
フムフム、よくわかります。私も毎朝、痛かった人ですから。
「靴を履き替える所に行くと、なんか、苦しくならない?」と、かつての私を思い出して言うと、
「そうなのよ!」と、味方を得てほっとした顔。
「なにがいやなのかというとね、せんせいがこわいの。おこるとこわいの」
「あなたが、怒られるような事をするの?」
「わたしはしないけど、クラスのなかに、じっとすわっていられないこがいるの。そのこは、じっとしていられないこなの。だのにせんせいは、すわりなさいって、こわくいうの。せきもまえにかえた。でも、そのこはできないのよ。そのこをおこるときのせんせいがこわいの」
フムフム。これも、共感できる私。怒られている当人より、ドキドキしてしまう静かな子。
それにしても、「そのこは、できないこなのに」と、ありのままを受け入れて、いけない子・ダメな子と決めつけない彼女を嬉しく感じました。
私は中学まで男の先生だったこと。1、2年生の先生は、いたらずらな男の子が2、3人いたのに、しんちゃんという子のときだけ、自分のスリッパをぬいで頭を叩いた。だから、その先生は大嫌いだったことなどを話しました。
ふたりでどうしたらいいか、考えました。
「先生に手紙を出すのは、どお?」と、私。
「でも、おへんじ、くるかしら」と、彼女。
「怒るとこわいので、怒るのを少なくしてくださいって」私。
「でも、かえられないとおもうのよね」彼女。
このセリフにもぎょっとしました。
「じゃあ、怒り始めたら、耳をふさぐ!」
「でも、きこえてくるのよ」
「他の子だって、あなたみたいに思っているかも。友だちに話してみたら?」
「そういうはなしは、できないの」
あーも、こーも提案しましたが、いい考えはみつかりません。
もっと、いやなことがあるそうです。
体育の時間は走るそうです。走るときに一列に並んで走る。
ところが、後ろの子が「のろま、もっとはやくはしれ!」と、つつくそうです。
「イヤって言うの?」
「ううん。だまって、いっしょうけんめいはしるの。でも、つつくの」
イヤなんて言えないようです。
「どうもね、からだは、じかんひょうをみているらしいの。たいいくがあることが、わかるんですもの。よる、じかんひょうをみてそろえるでしょう。そのとき、からだもみているんだとおもう」
40分くらい話していたでしょうか、ここで来客があり、Aちゃんはクレープを作っているグループに入っていきました。
それから2時間後、もう、小学校のことは触れなくていいかと思っていたら「あいこさん、まだ、しょうがっこうのこと、はなさなくちゃ」と言うじゃありませんか。
正直、まだあったの? とあきれましたが、椅子を向かい合わせて座りました。
「あのさ、まえ、りゅういちもきたよね」
昨年、一年生のやはり今頃、休んできた子を覚えているのです。
「そうね。疲れたらお休みするのがいいと思うわ」
どうやら、彼女は明日も休みたいと思っているようです。
いままで何人もの子が、1年生のこの時期に休んで、帰って来ています。新しい『学校生活』を頑張り続けて、ちょっと疲れて、懐かしいところにもどりたくなるのでしょう。
もどってきたからといって、そのまま居続けた子はいません。みんな、自分は一年生であるいう自覚と誇りを持っているのです。もう、りんごの木に居場所がないこともわかっているのです。
でも、気心が知れた保育者や顔見知りの1年後輩とあそぶと、ほっとするのです。
ほっとすれば、前に進む元気が出てくるものです。
いままでで、いちばん長かった子でも3日でした。
「明日も休む?」
「うーん。でも、いえない。だって、おかあさんに、きょうだけよ!っていわれたもん」
「じゃあ、行く?」
「いや」
「じゃあ、言える?」
「いえない」
彼女自身は、明日も休むって、もう決めているようです。
困った彼女はこう決めました。
「あしたのあさ、おきてみて、おなかがいたかったら、やすむ。いたくなかったら、いくっていえばいい」
お母さんが迎えに来て、帰っていきました。
しばらくすると、Aちゃん自身から電話がかかりました。お父さんが、学校に行かなかったAちゃんの気持を聞きたいと言うけれど、怖くて言えないというのです。きっと、お父さんなりに子どもの気持ちを冷静に聞こうと思いながら、頑張らせたい気持が表情に出ているのでしょう。「だって、いつものおとうさんとちがうんだもん」と言います。とうとう、彼女は泣いて、その日は何も言えずに寝たようです。
私の耳には、彼女の泣き声がこびりついていました。
一般的に、お父さんたちはハードな職場で働いている。行きたくないから、今日は気持ちが乗らないから、などで休むことなど論外。多少気分が悪くたって、熱があったって、会社に出かけていく。そんな日々をおくっている人にとっては、子どもが簡単に休むのは甘いと思うだろうし、簡単に認めるわけにはいかないだろうと察します。
そして、一度休ませたら、これから先、休み癖がついたらどうするんだという不安もあるでしょう。
どちらがいいのかわかりません。
ただ、ここで、私と親が対立してはいけないし、私の考えで彼女を引っ張りすぎないようにしようと思いました。どういう結果になろうと、お父さんはAちゃんのことが、大好きであるということを、何よりも伝えなければいけない。布団の中で、そう、思いながら寝ました。
翌朝、Aちゃんはりんごの木に来ました。朝、お父さんに泣きながら学校のこと、自分の気持ちを話したそうです。お父さんはAちゃんが決めたことを、受け入れてくれたのです。
一日、楽しく過ごしていました。もう、「がっこうのおはなし」はありませんでした。
「あしたはいくんだ!」と、ニコニコ帰っていきました。
さあ、めでたしめでたしといくかしら?
それとも、また、お休みしに来るかしら?
親も子どもも、大きな海に船出をしたようです。
たまには大きな波をかぶって、もどってくることもあるでしょう。
私はここで見守らせてもらいましょう。 (5月14日 記)
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