7月2日、西野博之さんの「たまりば」15周年と著書『居場所のちから』(教育史料出版会発行)の出版を祝う会に参加しました。
西野さんは不登校や高校を中退した人たちにかかわり、15年前に川崎の小さなアパートの2階で、フリースペース「たまりば」を始められました。多摩川(Tama-river)に近かったことと、子どもたちがたまる場所という意味をかけて、「たまりば」と名付けたようです。
そこは塾でも学びの場でもなく、子どもたちが「居場所」として集まってくるところです。場所の問題、金銭の問題、地域との関係など、いつもさまざまな問題を抱えながら活動を続けておられました。2003年、川崎市「子ども夢パーク」内に、川崎市の委託をうけ、公設民営の不登校児童・生徒の居場所「フリースペースえん」を開設しました。
現在に至るまでのたどった道筋や、彼の考えていることが『居場所のちから』に集約されています。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
出版を祝う会は、さまざまな分野のおとなから子どもまで、211名の方々が参加して、熱気のある会になりました。
手作りの料理、お祝いの言葉、スタッフの演奏など、「えん」の活動さながらの2時間半でした。つまり、堅いよそいきではなく、普段着のままの、ひとりひとりが参加しているのです。
「たまりば」開設時のアパートの大家さんは「いい7年でした」と言っていました。
埼玉から一時間半もかかって毎日通った子どもとその家族は、「息子が不登校になったおかげで、たまりばと出会ってよかったです」と挨拶しました。「ここへくるまでは、生きていたけど、生きているみたいじゃなかった」と言った子どもがいるそうです。
私には健康で元気な人の集まりに見えました。
西野さんのすごいところは、行政も巻き込んで根を張っていく力を持っていることと、あそび心を失わずに子どもと笑えるところだと思います。
私が西野さんと初めて会ったのはいつだったでしょう。忘れるくらい昔です。保育士研修会の講師を頼まれ、打ち合わせにある保育園に行ったときに、彼が遅刻をして入ってきました。
遅れたわりには、まるで風呂上がりのような、さっぱりした顔をしていました。
「ぼくは、なんにも指導できません」と、みんなの中で発言し、「私も!」と、ほっとしたことを覚えています。
研修会当日、彼は忍者の格好をしていました。ひろったドングリを5個ずつ持って地域をまわり、食べられるものに交換にしてくる、なんて楽しそうにあそんでいました。
それから数年後、バザーで買い出しに行ったりんごの木のお母さんが「肉屋さんのお兄さんが、あいこさんによろしくって言ってました」と、ひょんなことから川崎の北部市場の肉屋さんで働いていることを知りました。「たまりば」の資金を稼ぐためのようでした。
それから数年後、公立保育園の先生方の研修会講師は、私の前が西野さんでした。二人とも、少し出世したような気分でした。
「りんごの木」の近所からの苦情をこぼしていたら「まだ、そんなことでめげちゃうの? ほくらのやっていることは、近所の苦情がついてまわるのはしょうがないじゃない。もう、慣れたら」と、カツを入れられました。
それからも何かと接点があり、現在は子どもの育ちを支える仕組みの民間基金「NPO法人神奈川子ども未来ファンド」を立ち上げられたので、ささやかなお手伝いをさせてもらっています。
私は日常的に乳幼児を相手にしていますから、ひとりひとりを大事に思う気持ちはストレートにキャッチしてもらえます。
けれど、すでに苦しみを持った子どもたちが回復していくためには、息をつき自分を取りもどせる場と人との出会いが必要でしょう。「居場所」は「子どもが自らを取り戻す場」という事だと思います。世の中の流れはいい成績、いい学校へと、勢いよく流れています。
でも、今日、思いました。ここに、こんなに同じ思いの人たちがいる。西野さんもすごいけど、ここに集まってるひとりひとりもすごい。確実に強い根っこが広がりつつあると。そして、私のやっていることは中途半端だなとも感じました。
『居場所のちから』というタイトルの下には、西野さんのいちばん大事にしているメッセージが書かれています。「生きるだけですごいんだ」って。(7月3日 記)
6月17日にご相談のメールを下さった美春さん。アドレスが違っているのでしょうか、お返事がどうしても返信されてしまいます。日にちがたってしまいましたが、よかったら、もう一度、メールをください。
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