柴田 愛子                

 まず、前回の「ボール探し」のその後をお話しします。
 あれから、コンビニやペットショップにも「ボールをさがしています」のチラシを貼らせてもらったそうです。
 その張り紙には電話番号も記入しました。
 けれど、何の反応もありません。
 卒業式まで、保育の日は残すところ1日となってしまいました。
 仕方なく、張り紙をお願いしたところにはお礼を言って、剥がしてきました。
 そこへ、小学生の女の子が「これ、ここのじゃないですか?」と赤いボールを持って現れたのです! マンションの下にボールをみつけたとき、公園にはってあったチラシを思い出してくれたようです。
 もちろん、子どもたちは大喜びです。
 「うれしい」なんていう言葉では表せないくらいの気持ちです。
 ボールを渡されたとき「どんな気持ちだった?」と私が聞いてみると、リーダーシップをとっていたかずくんは「なんていったらいいか、わからない。なみだがはんぶんでそうだった」と言いました。
 私たちおとなも、驚きと喜びでした。みんな笑顔で手を叩いて喜びました。思いがけないハッピーエンドとなりました。
 発見されたマンションは、かなり離れたところでした。拾ってくれた人がチラシを見て、覚えてくれていたからこそボールは返ってきたのです。
 子どもの気持ちが成功に終わってよかったという思いと、なんでもやるだけのことはやった方がいいと子どもから教えてもらった気がしました。
 そして、世の中すてたものじゃない!っていうのもね。
 
 そして、21日に無事、卒業式を終えました。
 今年は第二十回卒業式でした。りんごの木で6歳になった子どもを卒業させるようになってから、20年経ったということです。
 子どもたち一人ひとりの歌(保育者が作詞作曲したもの)をプレゼントして、歌うばかりの卒業式です。
 4歳児のお母さんたちが作ってくださった昼食を親子でいただき、子どもたちは公園でいつものようにあそび、4時に解散となりました。
 夜は、お母さんたちと、いつまでもおしゃべりをしました。
 子どもをみても、親をみても、出会ってからの数年が思い出されます。
 子どもたちは、やはりその成長ぶりがなんともまぶしいです。
 親たちには、それぞれにいろんなことがありました。
 何もなく過ごしてきた人の方が少ないでしょう。
 だって、子育てはなにもないということがありませんものね。
 子どもの成長や、親の不安や喜び、困難につき合わせてもらったことを、ありがたく思っています。親たちに「ここまで、よくきたね」と誉めたい気持ちです。
 翌日、目覚めた私は、なんとも力が入りません。終わってしまったという虚脱感とでもいいましょうか。
 ボーッとしながら、お母さんたちがプレゼントしてくれた「卒業アルバム」を眺めていました。子ども一人ひとりのページがあり、そこからは子どもの成長を見守る親たちの熱いものが伝わってきます。
 そして、親のページには、親たちが楽しんだりんごの木での笑顔の写真が載っています。
 それを見ているうちに、不思議に、次の子どもたちを迎える元気がでてきました。
 卒業していく人々が、私に「また、がんばってね!」と背中をたたいて行ってくれたように思いました。(3月22日 記) 

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