柴田 愛子                

 ちょっと頭から離れないことがあります。
 それは、ボール探しのチラシ配りに、駅に行った帰りのことです。
 そこは、車乗り入れ禁止の空間、広場のような遊歩道のような所です。
 子どもたちがばらばらと歩いていましたら、後ろから自転車がきました。
 自転車の人は、ベルを鳴らすでもなく、怒鳴るでもなく、のろのろと後ろを走ってくれていました。
「うしろから自転車が来るよ」と、前を歩いている子どもたちに、私が声をかけました。
 すると、私といっしょに横を歩いていたかずくんが「ごめんなさい」と、おじさんに頭を下げて謝ったのです。
 私はちょっと驚いて、言葉が出ませんでした。
 その様子を感じたのでしょうか、かずくんは私に「ごめんなさいより、すいませんでしたのほうが、よかったかなぁ」と言ったのです。
「ここは人のための場所。歩く人が迷惑するようなら、自転車の人が降りなければいけないところなの」と説明をすると、
「じゃあ、あやまらなくてよかったってこと?」と聞かれました。
「うーん。でも、あの人が困っていたのは確かだから、謝ってもいいかなぁ」と、なんとも苦しい答えしかできませんでした。
 ここは自転車は降りるべきと強く言い切るのもなんか違う気がするし、かといって、謝るべきことではない気もするし……。
 その釈然としない気持ちが残っているのです。

 ちょっと広辞苑を調べてみました。
「御免」に関しては、由来も使い方も多岐に渡っていました。歴史を感じる言葉です。
 それに比べると「すみません」はソフトな感じです。
 身近な大辞典には現代の使い方なのでしょう、こんなふうに書かれていました。
「ごめんなさい」は、自分のあやまちをわびるときの言葉。
「すみません」は、相手に謝罪、感謝、依頼などをするときに用いる言葉とありました。
「すみません」は多義的な重宝な言葉なのですね。
 そういえば、子どもたちがボール探しのビラを通行人に渡すとき、もれなく「すみません」と言って近づいていました。こんな方法をどうして知っているのだろかと感激したのですが、子どもたちは言葉を感覚で体得してしまうのでしょうか?
 
 さて、新しい年度が始まります。まさにワクワクとドキドキで迎える新しい日。
 りんごの木は9日からです。
 今年も子どもたちから今回のような刺激というか宿題をもらいながら、自分を育てていきたいです。楽しみながらね。
 みなさんも、今年度もよろしく!(4月5日 記) 

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