柴田 愛子                

 3歳児のコリアは、昨年からりんごの木に来ているドイツ人の子です。
 いつも目をランランと輝かせてあそぶ、やんちゃ坊主です。お気に入りのアンパンマンのついた赤いガーガー車(またがって両足でこいで進む車)を暴走させています。
 今年から入ってきた3歳児のしゅうちゃんは、なかなか慎重派です。
 どういうわけか、私のことを「しばたのせんせい」とよび、頼りにしてくれます。

 その日、しゅうちゃんとあそんでいると、アンパンマンのガーガー車に乗りたいと言います。
「貸してって、言ってくれば」と促すと、行きました。
 3メートルくらい手前から、小さな声で「かして」と言いました。でも、その十倍以上の声で「ダメ!」と、威嚇するように言われてしまいました。
 しょげて帰ってきましたが、やっぱり使いたいと言います。
 ちょうどコリアは砂場につくった池であそんでいますから、ガーガー車は使ってはいません。近くに置かれています。
「今のうちに、借りちゃえば」と促しますと、行きました。けれど、「ダメ!」でした。
 しゅうちゃんが帰ってきたので、今度は私が行きました。
「これ、使いたい」と、ガーガー車を持ちました。
「ダメ!」と言うので、
「だって、使ってないじゃない。あとで、返すから」と手を外しませんでした。コリアも車に手をかけました。
 ここで、とりっこになるかと思ったら、コリアの目に涙! 手をかけているものの、力が入っていません。
 私は拍子抜けです。力関係を感じているのでしょうか、おとなは絶対と思っているのでしょうか。ともかく、私が対等の子どもに見えていないことだけは確かです。
 私は、強引に「借りるから。後で、返すね」と奪い取りました。
「うん」とコリアは目に涙を溜めて、承知してくれました。
 奪い取った以上、乗らないわけにはいきません。大きなお尻を必死ではめ込んで座りました。
 少しこいでから、「しゅうちゃん、おいで」と手招きをしました。
「しゅうちゃんに貸してあげる」と譲ると、しゅうちゃんはいちおう座りました。硬い表情のまま、3秒くらい座りました。
 そして、降りると、両手で持ち上げてコリアのところに持っていったのです。「もう、いい」って。
 帰ってきたガーガー車に、コリアは乗りました。でも、しばらくすると、なんと、しゅうちゃんのところに持ってきたのです。
「かしてあげる。じゅんばん」って。
 しゅうちゃんは確認しました。「いいの?」「いいの?」「つかっていいの?」って。
 コリアはうれしそうな顔で「うん」とうなずきました。
 しゅうちゃんもうれしそうに、今度はちゃんと走らせました。

 この顛末を見ながら、胸がいっぱいになりました。
 恐いと思っていたコリアの涙が、しゅうちゃんの行動を変えたのでしょうか?
 それとも、おとなの力で奪い取ったものを使う気にはなれなかったのでしょうか。
 しゅうちゃんが返しに来たことが、コリアの心を優しくしたのでしょうか。
 子どもの気持ちの真実を知ることはできませんが、子どもの気持ちが通う瞬間は感動的でした。
 「欲しいものはけんかして奪い取る」方法があることをしゅうちゃんに見せようとした私の思惑は、すっかりはずれました!(5月16日 記) 

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