柴田 愛子                

 先週一週間は、おとなと話すことが大半でした。
 石川県加賀市の保育士の方々に話しにうかがいました。静岡県御殿場市の保護者や保育士の方々にも話させていただきました。都内の子育て支援センターにうかがい、さらに、出版社との打ち合わせも2件。卒業生の親や子どもと会う機会もあり、おしゃべり三昧。
 たくさんのおしゃべりのなかで、ひとつだけ、宿題を頂いたように、心に残っている言葉があります。
 まだ、2歳のお子さんを育てている初対面の方との話です。なかなか大変な現状の中で辛い思いをしているようなので、何気なく「もっと、自分を大事にしたらいかがですか?」と投げかけました。
 その方が「自分を大事にするって、どうすればいいんですか? さっぱりわからないんです」と返してきたのです。
「え?!」と、びっくりしてしまいました。返事がすぐに出ませんでした。
 私は、頻繁に使っている言葉のような気がします。確かに抽象的で、具体的に説明したことがありません。
 私自身は自分を大事に思っていますし、大事にしているつもりです。
 でも、どういうときにどうすることが大事にしていることなのか具体的に述べてみろと言われると、なかなかむずかしいです。
 その方にはとりあえず「自分がイヤだと思ったらイヤッって言うこと。楽しいと思ったら笑うこと。悲しかったら泣いてわめくことかな」と答えました。
 これは感情をストレートに表現するということです。いやだと思ったらカメのように殻の中に引っ込んでしまうのも大事にすることだと思います。
 でも、その自分の感情がよくわからないとも言っていました。

 自分を大事にすることは、自分を人生の主役として生きていくことだと思います。
 周囲の環境や人々に刺激を受けながら、あっちにこっちに揺れ動かされ、傷つきもしながら、「私はそうは考えない」とか「私もそう思う」とか「そうありたい」等と繰り返しながら、自分としての根っこを固めていく。それがだんだん太くなり、芯が通って、他の誰でもない自分が形作られていく。
 が、すべての始めの一歩は“感じる”ということじゃないでしょうか。感じなくては何事も始まりません。
 そして、次に自分の感情を表現することだと思います。
 こう考えてみると、まさに2、3歳児の自己中心のわがままぶりが、始まりの大事な時期のように思います。傍若無人に自分を押しつける彼らは、惑うことなく自分を大事にしているのではないでしょうか?
 自分を大事にしながら、人の気持ちも受け止めていく幼児時代の子どもたちは、すばらしい人生の始まりをつくっているように思います。

 話は飛びますが、大学院にいっている24歳の卒業生と夕飯を共にしました。彼がこう言っていました。
 まわりは就活に脅かされている人だらけなのだけれど、入りたい会社を月給、休暇、知名度などの条件で選んでいる。だから、肝心の会社の志望理由をなんと書いたらいいのかわからない。やりたいとか、面白そうとか、そういうことで選んでいる人が少ないというのです。彼はそのことを歯がゆく思っていました。
 日本の子どもの自己肯定感(『自尊感情』とも汐見稔幸さんは言っています)が、世界と比較して低いという様々なデータを目にします。
 学校教育を受けている間に、成長するに従って、自分を大事にすることを見失ってしまいがちということなのでしょうか?
 自分の感性、自分の考えより、人の視線、人の評価を優先していくうちに、価値観がすっかり自分以外のところに置かれてしまう。自分の内面に鈍感になってしまうのではないでしょうか。
「だいたい自己肯定感がなぜ必要なのですか?」なんて問いかけがされそうな気配を感じます。
 これから、ますますこの方のような質問がでてくるでしょう。

 生きていく芯の部分を、どう伝えていけるか真剣に考えていかなければと思います。
 混沌としたまま書いてしまいましたが、みなさんはどんなふうにお考えになりますか?
(5月24日 記) 

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