一学期ももうすぐ終わりという時期に、2、3歳児が朝お母さんと別れられずにぐずぐずしていたり、泣いたりしています。
そのうちのひとりのお母さんと話しました。
「この頃、私と離れられなくなっているんです。私が見えなくなると不安のようです。おねしょなんてしなかったのに、この4日くらいおねしょもします」ということでした。
離れられないというだけならまだしも、おねしょが始まったというのは、何かあったのかも知れません。
「少し前に、なにか変わったことをしませんでした?」と尋ねると、
「祖父母と旅行に行きました。4泊で電車の旅です。電車が好きなので、喜んで行きましたし、いままでも私ぬきで行ったこともあります」。
たぶん、これかしら? と思いました。
今まで平気だったことが、平気じゃなくなることがあります。
一見赤ちゃん帰りのような行動や態度が、3歳から4歳前半くらいに起こる子が結構います。(もちろん個人差はありますから、おおよその年齢です)
それまでは自分を客観的に眺めることはできなかったのに、少し大きくなって自分を客観的に見れるようになったのです。
例えば、それまではかくれんぼをしても、自分が見えなければ他人からも見えないと思ってます。ですから目をつぶって「もういいよ」なんて、姿は丸出し、かくれんぼというあそびが成立しませんでした。ところが、だんだん人から見えないためには木や物陰に隠れなければいけないと思えるようになり、かくれんぼというあそびができるようになります。よそからの目で、自分を眺められるようになるということです。
さらに、見えないものを想像できるようになり、暗闇が平気だったのが、お化けを怖れたりするようにもなります。
感情も細やかになります。
私は“心のひだが増えるとき”と表現をしていますが、「○○ちゃんがぶった!」と言ってきていたのが「○○ちゃんがいじわるをした」と言うようになったり、手を繋ごうとして振り払われたりすると心に響いて泣いたり、「ママ、おてて、ぎゅっとぎゅっと」とせがんできたりします。
「ひとりぼっち」とか「さみしい」「はずかしい」なんていう抽象的な心の表現もし始めます。
お話ししたお子さんの場合は、いままで祖父母と旅行に行くのは楽しかったのに、今回はママやパパや弟といっしょではない、家族と離れていることが認識されてしまったのではないでしょうか。
りんごの木で親と離れるときに泣く子どもたちが、親が帰ってしまったあと泣き続けるかというとそうではありません。
何事もなかったかのように、あそんでいます。
園であそぶことが楽しいことはわかっているんです。
だけど、ママと別れるという事実に、不安や寂しさがあるのだと思います。
こんな時期を越えて情緒は安定していきますが、とりあえず叱咤激励するより「大丈夫だよ。いっしょじゃなくても、ママちゃんと迎えにくるからね」と、安心させる方がいいと思っています。
家の中でもママ、ママと追い求めることになるでしょう。
うっとうしくなって隠れたり、怒ったり、言い聞かしたりは逆効果。とにかく、安心したいのですから、安心できるように目と手をかけるより仕方ありません。
こういう子どもの様子を相談すると「親の愛情不足」なんて、言われてしまった方もいるでしょう?
私は愛情不足ではないと思います。
でも、愛情を欲しがっていることは事実です。
不安定な心を、お母さんに手をかけてもらうことで安心に変えていきたいのです。
行きつ戻りつの子どもの育ち。行きつ戻りつしながら、自立していくのです。ご苦労様です!
すみません。またまた来週はお休みします。(7月19日 記)
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