柴田 愛子                

 ほんとに暑いです。「煮えてしまいそう」と言ったら「その前に溶けちゃいそう」と言った人がいました。そのくらい暑いですね。

 少し前ですが、5歳児のキャンプに行ってきました。いつもの丹沢山麓、皆瀬川上流にあるペガススの家です。
 そこまでは、電車を3つ乗り継いでいきます。
 子どもたちは、乗り継ぎに時間があると、平気でホームにぺたんと座ります。
 水筒からお茶を飲んだりしゃべったりしていて退屈はせず、「電車はまだかなぁ」なんて言いません。
 はた目には「行儀の悪い子どもたち」と思われるだろうと、気にはなりながら、二列に並んできちんと待たせていたら我慢できないだろうと大目に見てしまいます。

 乗り物内でもひとつ困ってしまうことがあります。それは、吊り輪。
 どうしてもぶらさがります。座席の上に立ち、吊り輪につかまり、ぶーらぶら。
 子どもの気持ちは、すごーくわかります。私だってしてみたいですから。
 しかし、大人たちのお叱りも想像できます。「危ないでしょ!」「行儀が悪い!」。
 どうして、電車の中の吊り輪って、こんなに魅力的なんでしょう。
 乗客がいるときは「ダメだよ」と言いますが、車両が貸し切り状態の時は「動いたら、やめるよ」と長時間の停車の時だけ目をつぶります。
 帰りなどは始発電車にしましたら、発車まで20分近くありましたから、もう、車両は猿たちの一群に占領されたかのような状態。車掌さんを気にしながらヒヤヒヤ。
 それにしても、つり革は丈夫にできています。遊具としては抜群。
 大人が多ければ、車内ではきちんとしているのが常識。子どもが多ければ、車内にもこんなに面白いあそびがあります、見過ごしてどうしますかという常識になる?

 さて、現地に着いてからは、なんの気兼ねもなく、勝手知ったるペガスス。一度来たこともあるために、注意や指示はほとんどしなくていい状態。子どもが主体的に動きます。
 魚やオタマジャクシやカニとったり、石を集めたり、段差のある滝状になったところに飛び込んだり、石の堤を登ったり。
 今回はいただいたゴムボートを持っていきました。子どもが2,3人乗って、数メートルですが川の流れにゆったりといい気持ちそう。私もと奪い取って乗ったら、なんとボートの底が川底に沈み、石がお尻にゴツゴツ。私って重いのね。

 ヤマメつかみをしたり、夕飯にそれを串に刺して火で焼いたり、薪で焚いたご飯を食べたり・・・普段とは全く違う生活です。
 自然の中に子どもを連れて行くといつも感じること、それは、子どもは自然児ということです。今回も、いつもの表情とはずいぶん違いました。言葉ではなく、表情や行動が気持ちを語っています。
「この子、こんな顔するんだ」とか「この子、こんなにチャレンジする子だったんだ」と、うれしい発見をします。
 唯一「え?!」と思ったのは、今の子は暗闇に弱いということです。
 街灯のない田舎道、夜は真っ暗です。ホタルを探しにいく前に、足が前に出ません。「肝試し」なんてしなくても、ただ、歩くだけで十分怖がっていました。

 公共の場ではヒヤヒヤするけれど、自然の中の規制のないところでは喜々とする。
 公共の場では安心だけど、自然の中の規制のないところでは棒立ちになってしまう。
 幼い子どもは、このどっちかなのでしょうか?
 公共の場ではきちんとできて、自然の中に連れて行けば喜々としてあそべる。こんな子どもがいいですね。私も望むところです。でも、それって、何歳くらいに望めるのことなのでしょうね?(8月1日 記) 

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