柴田 愛子                

 ほんとに暑い日が続きますね。
「暑い、暑い」ばかり言っていますが、他に表現はないものかと考えてみますと「暑くて煮えそう」「暑くて溶けそう」「うだるような暑さ」。
 考えていたら、なおさら暑くなってしまいました。

 先日、朝の9時半頃に電車に乗りました。
 私の前の席には、塾のカバンを背負った3、4年生くらいの子どもと、お母さんが座っていました。
 細身の親子だったので、席は微妙に空いています。
 私はちょっと大きいカバンを持っていました。
 置かしてもらおうか、どうしようかと迷いましたが、視線は決して上を向かないのであきらめました。
 親子は品がよく、子どもは適当に日に焼けていて、賢そうでした。
 他にも塾の子どもに付き添っていく親子がいました。

 自分のやりたいことは自分のやれる範囲で実行するというのは、現代では無理なのでしょうね。
 子どもがやりたいことは、親にとっても最優先する時代なのでしょうか。
 塾、野球、お稽古、子どもの「やりたい」は、お金はもちろん、親の行動までも占領してしまう。
 勉強は更に特別かも知れません。「やらせたい」が入っているかも知れませんね。
 子どもが大きく成長したとき、自分の力量にあった行動がとれるようになるのだろうかと不安になります。

 次の電車の乗ったときに、席が二人分空いていました。私は急いで向かいました。
 すると、反対側から三十代くらいの女性も来ました。
 めでたく、二人が座れたと思ったら、やがて、その女性は立ち上がり、後から入ってきた2年生くらいの女の子に席を譲りました。どうやら、娘です。女の子は無言で当然のように座りました。母親は前に立っています。
 女の子は水筒から何かを飲みました。
 座っているのに、飲み終わると母親に持たせます。自分は小さなポシェットだけです。お姫様みたいです。
 やがて、隣が空いて親子は座りました。でも、会話はありません。
 それどころか、子どもが話しかけると、イヤそうな、うるさそうな顔をして娘を見ていました。
 なんだか、これが子どもを大事にしているということなのだろうか?と、考えてしまいました。
 形の上では大事にされているけれど、子どもが大事にされている実感をもてているのだろうか疑問を感じました。
 確かに、お金も手もかけてもらっているけれど、当たり前の会話や笑顔がかけてもらっていないような気がしてしまいました。

 私の子どもの頃は電車の中では「子どもは立ってなさい」と言われたものです。(この子どもは小学生くらいを指します)
 今は、子どもは勉強で大変だから、座らせた方がいいのでしょうか? 
 それとも、大人とか子どもとかは考える必要はないのでしょうか? 
「しつけ」も時代で変化するんですね。

 同じ時代でも子どもの年齢のよっても変わるようです。
 幼児を育てているお母さんは「しつけ」をすごく意識しています。
 でも、学校にはいると、しつけより勉強のことばかりを意識して育てているように思います。

 さて、この後、私は長野県の上田で講演させていただきました。翌日、東京で新幹線を降りると、帰省する親子がわんさわんさといました。家族が盛り上がっています。おみやげを手に高揚した親の顔、子どもの顔も口も動いています。やれやれホッとしました。やっぱり、楽しそうな子どもの笑顔は大事です。(8月8日 記) 

●2010年のバックナンバーはここをクリックしてください。
●「つれづれAiko」連載の05年1月〜07年12月から53編を選んで一冊にまとめました。詳しくはここをクリックしてください。