柴田 愛子                

 4、5歳児クラスに行くと、だれかしらに自慢されます。
 跳び箱を跳べるようになった子が「みてて」とは言わずに、私の顔をちらって見て、私の視線があるのを確認して跳びます。
「6だん」と言いに来ます。
「すごいねぇ。いつから跳べるようになったのかしら」と手放しで誉めます。
 だって、誉めてほしいっていう顔しているわけですから。

 お弁当を食べながら言います、
「えいご、しゃべれるよ」
「あらそう。聞かせて」と言うと、
「グッドモーニング」
「ハワイユー」
 カタカナ英語で、どうやら習っているようではありません。
 でも「すごいねぇ」と言います。
「×××」と何語かわからない言葉も教えてくれます。

 毎日一緒にいない私には、手放しで自慢できるのでしょうか?
 それとも、私は何もできない人に見えるのでしょうか?
 だって、お弁当の後、お弁当箱を布で包み、結ぶのを見せようとした子が、なかなかうまくいきません。
 あきらめてしまったようなので、つい、私が手を出して結んでしまったら、驚いた顔をしました。「あら、あなたもできるの!」っていう顔で。

 4、5歳は、次々何かに意識的に挑戦して、どんどんできるようになっていくことが多いです。
 そして、できるようになったことは自慢です。
 自慢は他の人に誉められたい、つまり、評価されたいということです。
 その積み重ねが自信に繋がる一つの要因になっていくようにも思います。
 おだてて誉めるのではなく、本人が要求していることを、裏切らずに誉める。
「そんなの、できて当たり前」とか「お兄ちゃんは、もう少しはやくできたわよ」なんて、ケチをつけることはしません。
 その子が頑張っていることを評価する。
 平均値や誰かとの比較ではなく、あくまでもその子のやる気と頑張りを評価することは大事だと思っています。

 お母さんの中には「誉めると、図に乗るのよね」なんて言う人がいます。
 謙そんが美徳という日本文化の意識もあって、「自慢してばかりで、恥ずかしい」という声もあります。
 が、図に乗ることは大事です。
 自分に誇りを持つこと、自己肯定感の始まりは、こんなことからなのかもしれません。
 子どもだって、もう少し大きくなると、ひたすら誉める人は当てにしなくなります。
 うっかりすると「そんなのまえからできてたよ」なんて、言い返されてしまいます。
 自分のやる気や頑張りを他人に評価されたくないという時期もきます。
 この鼻高々な自慢は、5歳児がピークなのではないでしょか。
 でも、この時期も静かに低空飛行をしながら、小学生になってから開花する子もしますし、もっと、大きくなってからという子もいます。性格も様々です。親としては、本人の様子を見守る以外ないと思いますね。
 誉めてほしそうなら誉めればいいし、見られると萎縮してしまいそうなら見なければいい。

 先日「ねぇ、へやのなかに、とけいがふたつもあるね」と言うので、
「そうね。ふたつともおなじ?」って聞いてみました。
 ひとつは長短二つの針だけですが、もうひとつには秒針がありあります。
「ちがうよ。こっちはおしゃべりしているとけいなの」と返ってきました。
 秒針がチクタクチクタクと忙しそうに回っている様子が、お喋りに見えるのでしょう。
 どうやら、二つが同じ時間を示していることには、あまり関心がないようです。
 大人に向かって刻々と進んでいるようにみえても、想像する豊かさはまだまだ失ってはいない4、5歳児のようです。(9月19日 記)

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