柴田 愛子                

 先週は、栃木県の那須岳に紅葉を見に行ってきました。
 土曜日は雨の中を景色もなく歩きましたが、日曜日は天気が回復。それはそれは見事に色づいた山々でした。
 ここは歩くのもほどほどで、温泉小屋があり、若いときから好きな場所です。もう、10回くらい行っているかしら。
 忙しいといいながらも、ちゃんと息抜きをし、身体を動かすといい感じです。

 ところで、今の時期、幼稚園選びのご相談が多いです。
 幼稚園を選ぼうとしている方と話していて、感じたことを書くことにします。

 近年、幼稚園では文字や数ばかりでなく、英語を取り入れているところも多いようです。その他、体育、絵画、楽器、パソコンと小学校教育のような勉強をしている園も多くみられます。
 りんごの木を見にいらした方から「英語や文字など、勉強をしないでも、だいじょうぶなのですか?」という質問をいただきました。
 私はほんとに驚きました。
「あそびを通して、主体的な体験からまなぶのが幼児時期」と、疑いもなく考えていますので、「だいじょうぶなのですか?」という言葉は、それだけ世の中は「学校教育の前段階的な教育をするところ」という考えが常識になりつつあるのかと驚いたのです。
 そして、「そういう幼稚園に入れている人は、幼稚園で勉強しているからだいじょうぶ、と安心をしている」ともおっしゃいました。これまた、びっくり。何がだいじょうぶなのでしょう。何をもって、子どもの何が保障されているというのでしょう。

 たとえば英語をやると、なにが安心なのでしょう。
 小学校に行ったときに、初めてじゃないからスタート時点で気持ちに余裕がある、と考えるのでしょうか? 
 それとも、幼い方が吸収がよいので覚えられるというのでしょうか? 
 子どもは興味があることはすごい勢いで吸収し、身につけていきます。
 が、興味のないことは吸収していかない事は、育てていて実感なさっていると思います。
 興味が湧くような素晴らしい指導があったとしても、日常使わないことばがそのまま染みこんでいくとは考えにくいです。
 現に、私は中高と6年英語を勉強してきましたが、いっこうに安心な言葉にはなっていません。
 幼児がちょっとした英語を話したら、そのときにおとなが感心させられて、嬉しい思いができるということではないでしょうか。

 私は幼児時期に、自分の人生において、何より自分を大事にできる根っこをのばしてほしいと思っています。
 3歳はすごくわがままでプライドが高いです。自分がやりたいことにおとなが手を出すと怒ります。‘自分が中心’と叫んでいるようです。そんな時期に他人の指導や評価にあわせられるように訓練するのは反対です。
 自分で思ったことを、自分が行動を起こして体験する。そこを窓口に、友だち関係、友だちの気持ち、探究心、知力、体力と総合的に学んでいくことが、その子の真の糧になっていくと思っています。
 4、5歳も然り。
 6歳になると、ほぼ人間の基礎になる急成長はできあがるので、それからは自己コントロール力もあるし、勉強を通して学ぶことも身についていく時期に入ると思っています。ですから、小学校就学年齢が6歳なのは適切とも思えます。

 私の考えの根底は「子どもは生きている。感じている。人間として育つ能力を持っている」と確信しているのです。
 そして、幼稚園は(保育園も)子どもが主役の場であるべきだと思っています。
 
「勉強がなくて、だいじょうぶ?」という方がいる一方で、「人数は少ないけれど、自主保育をしたいのですが」という方もいます。園にいれるのではなく、親子でグループを作り、共に子どもと活動をしていこうとしている人たちです。
 指導者を入れているグループもあれば、まったく親たちでやっているところもあり、様々な形があります。
 他にも「森のようちえん」といって、自然の中であそぶことで育っていくという方法を選んでいる人々もいます。
 多様な考えがあります。もしかしたら、あなたが一般的常識と思っている幼稚園は、あなたの周りにいる人だけの考え方かもしれません。
 選ぶ前に、子どもにどんな幼児期を過ごして欲しいのか、ご自分の気持ちに向き合っていただけたらと願っています。
 自分の気持ちが見えなかったら、園を訪問して子どもたちの様子を見てください。
 気持ちが落ち着く様子が、きっと、あなたの気持ちに合っているのではないでしょうか?(10月17日 記)

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