柴田 愛子                

 先週一週間はおとなと話すばかりの日々でした。
 申し訳ないけれど、おとなたちと話して元気をもらうことは滅多にないです。
 だって、小さい子を育てている親たちは「何をしつけるべきか」と迷いながらの子育ての話。
「私はいいと思うけれど、相手の親がどう感じるかわからないし」と、おとな同士の難しい人間関係。
 嫌われたくないとか、迷惑かけたくないとか、ほんとに「他人様のためのわが人生」みたいな悩みが多いんですよね。
 まあ、うれしいことを聞いてもらう相手ではなく、心配や不安を吸い取ってもらいたいという役が私に来るからかも知れませんけど。

 子どもを見ていると、他人様のために生きている子は、一人もいません。他人の目や評価とは無縁な幼児時期です。
 わがままだし、迷惑なことを平気でやるし、うまくいかなければ泣いたり怒ったりするし、いたって真っ正直。
 だのに、不思議なことに、子どもからは元気をもらえるんです。どうしてなのかなぁ。

 やっぱり人の元(根元)は、自分、自分、自分と叫んでいるんじゃないでしょうか。おとなとして生きているうちに、自分が埋没しそうになっている。ところが、子どもを見ると、その根源の自分に火をつけてもらって、元気がでるのではないかしら。
 それと、すでに異次元になってしまった感性やあそび心を思い起こしてくれるということもあるでしょう。
 保育者は、毎日自分の基を呼び起こしてくれる職場なんですから恵まれてますよね。

 ところが、世間一般では、そんな単純ではない仕事のようです。
 今や、保育者と話していても元気を共有することはまれになっています。
 多くの保育者が、親との対応や職場での事務処理、上司との関係に悩んでいます。
 保育園などでは、「とにかく、無傷で返すことが第一」だそうです。
 引っ掻いたり、噛みついたりというのは、言葉が未熟な年齢では当たり前のことと私は思いますが、そんなことをしたら大変だそうです。そうして、保育者は謝罪するそうです。
 保育者たちと話していると、息が詰まりそうになります。「私たちは荷物一時預かりではありません!」と叫びたいし、子どもを大事にするということの本当の意味を伝えたくてもどかしくもなります。
 もはや、私はりんごの木以外では決して働けないだろうと(いまさら、こんな定年過ぎた私を雇うなんて事はありえないけれど)確信しますね。

 そんななか、元気の出るおとなの話を聞くことができました。天野秀昭さんです。
 関東で初のプレーパーク(世田谷区羽根木)で、日本初の有給プレーリーダーになった方です。日本冒険遊び場づくり協会副代表など、多方面でご活躍です。
「どうして、あそびがだいじなの?」というテーマで、りんごの木で講演をお願いしたのです。

 『 "あぶない きたない うるさい"のが、子ども。だからこれを NO というのは、子どもであってはならぬと言っているのと同じ事』
 『あそびは魂の活力!』 
 『あそびの正体は "やってみたい!" やりたいことはリスクを背負うことを子どもは承知している』
 『カミニュケーション(噛むニュケーション)』
 『子ども期はサルの時代』
 『 "教育"は教える・育てる。"遊育"は遊ぶ・育つ。つまり教育は本人以外が主役、遊育は自分が主役での育ち』
 ご本人の話や著書を読まれたほうがいいので、このくらいにしますが、もう、本質を突く小気味の良い言葉がバンバン! そして、おとなへの流れや違いを明確にされていきます。
 子育てをしている人たちばかりでなく、すべてのおとなに聞いてほしい話でした。
 さあ、これでサルの子どもたちから、もっと、もっと元気をもらえるぞと思いましたね。(11月28日 記)

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