柴田 愛子                 

 りんごの木は10日の祝日から保育開始となりました。地域のみなさんは休日ということもあって、なにげなくにぎわった始まりでした。
 2、3歳児の近くの公園ではどんど焼きがあって、子どもたちはおもちをご馳走になったそうです。
 4、5歳児の近くの公園も、小学生があそんでいたり、保育にも卒業生が数人混じっていたり、いつもより華やいだ始まりで、なかなかよかったです。
 久しぶりにきた子どもたちは、一回り大きくなっていました。
 子どもは長い休みがあると、必ず大きくなって登場してきます。背が高くなったり、顔の表情がしまってきたり、ちょっと太くなっていたり……。
 そして「ねぇねぇ、みてみて」「ねぇねぇ、きいて!」コールが続きます。
 滑り台のところで「みてみて!」と叫ぶので「わかった。いいよ!」と言うと、スピードで滑り降りて「はやかったでしょ?」と、にこにこ顔を向けます。「ほんと、すごいね!」と私もにこにこ返してあげます。
 滑り台の階段の上まであがって、滑り降りずに、柵を乗り越え、真鍮を滑り降る子もいます。「みてみて」と言われているのですから、それも「すごいねぇ」と言ってあげます。そんな危ないことができることが自慢なのです。
 休み中に大きくなったことを示したくて「みてみて」が多いのでしょうか? 
 それとも、休み中に感心を示してくれる人がいなかった?
 それとも、すでにおばあちゃん的になった私の役目?
 いずれにしても、呼びかけてくれることはうれしいものです。

 家にいたら、外に出るのに覚悟がいるほど、このところ寒いです。
 でも、保育だと仕方がなく「えい!」と覚悟をして、着ぶくれして出ます。
 出てしまうと、張った空気が気持ちよく、子どものあそびにつき合うのも楽しく、一日が充実していた気がしたりします。
 子どもは朝はもこもこに着てやって来ますが、外に出るときに上着を脱ぎます。そして、走ります。いつも走っています。
 走っているうちにどんどん脱いでいきます。とうとう、シャツ一枚になってしまう子さえいます。
 走って暑くなる。まさに、子どもは身体に自家発電機を持っているのです!

 このところ、私の胸にストンと落ちたことがあります。
 それは、どうして子どもは出入りした後にドアを閉めないのかです。部屋の中にこちらが居た場合、子どもが入って来ると開けっ放し。出て行くと、また、開けっ放し。
「閉めてー!」と声をかけて、実現することは滅多にありません。
 ドアばかりでなく、出入りできる場所はたいてい開いています。
 りんごの木のドアは、自動ではありません。そして、自然と閉まるバネもありません。従って、保育室の中は寒い風が吹き抜けているんです。
 言っても言っても、できないのか、しないのか……?
 私がストンと了解できたのは、「彼らは動物である」という回答が出せたからです。
 常々、まだまだ動物的本能やカンが強く残っていると感じています。
 これは、悪い意味でもさげすんでいるわけでもありませんが、おとなと同じ人間にはなっていないということです。
 そう考えると、どの動物が、入ってきたドアーを閉めるでしょう?
 ネコを飼っている方々は、出入り自由にするためにネコ用のパタパタする場所を設けていたりしますよね。
 イヌだって、トラだって、ウサギだって……ね! 
 どの動物も開けられたとしても閉められないんです。つまり、子どもはできないんです。
 そう思ったらスッキリしました。仕方ないとあきらめられたのです。
「閉めて!」と怒鳴ってもだめなんです。
 こちらが「まったくー」と言いながら閉めに行く以外にないのです。
 言い続けても出来ないことは、まだ出来ないことなのです。こんなことで、妙にすっきりするなんておかしいでしょうかね?(1月17日 記)

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