うめ

震災お悔やみ

 ホームページが新しい表紙になった始まりに、震災の話題で残念です。しかし、大変な災害となってしまいました。時間の経過と共に、すさまじい映像が目に入り、亡くなった方の数が増え、胸が痛みます。
 りんごの木は子どもたちを帰した後で、見花山教室(2、3歳児)では三組の親子が庭であそんでいるだけでしたので、混乱するにはいたりませんでした。木造2階建てですから揺れました。けれど、本が落ちるくらいで、被害はありませんでした。
 保育園の方々はどうなさったかと心配でした。お昼寝からさめたころでしょう。保育者の判断に複数の子どもの命が任されるときです。こんな時、私たちの仕事は子どもの命を預かる仕事であるということが痛切に自覚されます。
 いちばん困ったのは、すぐに停電になってしまったことです。どんなに電気に頼っているかを思い知らされました。
 電灯は当然のこと、電話もストーブもお風呂もガスも、すべて電気と連動しています。だんだん暗くなり、寒くなり、情報も入ってこない。
 特に、自分のいる周辺の情報が全くわからないことが不安でした。
 私は翌日の講演のために、山梨に前日入りする予定でしたが、先方と連絡がつかない。公衆電話は繋がりやすいと聞き、町を歩きました。が、あったはずの所も、すでにボックスは撤収されていました。
 交通信号も消え、コンビニも店も真っ暗。自動販売機の明かりも消え、車のライトだけがまぶしく、そろそろと走っていました。
 空の星が久しぶりに輝いていました。本当はこれが夜だったのです。
 結局、家に帰ることにしました。車の中だけが暖かく、明るく、別世界。信号機のある大きな交差点では、お巡りさんやボランティアの方が交通整理をしてくれていました。
 そして、多摩川を渡り東京の自宅にもどったら、なんとしたことか、まるで対照的な明るい世界になっていました。暖房もつき、テレビもつき「あー、ありがたい!」
 こんなに近くても、まったく違う状況でした。家の中は二、三小物が落ちていましたが、ほとんど変わっていませんでした。交通手段がストップしていたので、道を歩く人々が大勢いましたが。
 テレビの報道をみると、それはすごい地震だったのですね。津波の被害を受けた地域は目を疑うようです。
 翌日の講演は中止となり、ほっとしました。笑いながら子どもの話をする気にはなれませんでしたから。

 このところ大きな地震がなかったので忘れていましたが、かつて関東大震災を経験した母の言葉を思い出しました。
・おふろにはいつもお湯を張っておくこと。
・やかんにはいつも水を入れておくこと。
・履き物はすぐ履ける向きにしておくこと。外に飛び出すときに、靴を履いているかいないかは逃げ方が違うそうです。
・現金を持って出ること。地震の場合は違う場所に行けばなんでも買える。お金が大事と言われました。
 ちゃんとザックに災害用の一式を備えていらっしゃる方も多いと思います。どうせ使わないからといい加減な私でしたが、気をひきしめます。電池式のラジオやろうそくも所定の位置に置いておきましょう。
 突然、命を奪われてしまった方々、家族を亡くされた方々、家が跡形もなくなってしまわれた方、日を送るごとに大惨事の実態がわかっていきます。なんとお慰めしてもかないません。災害地の皆様は、まだまだ辛い日が続くでしょう。一日も早く安全と安心を取り戻せますようにお祈りするばかりです。(来週の日曜日、りんごの木の卒業式です。次回は子どもの話を書かせていただきます。3月13日 記)

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