その後

もも

柴田愛子

「次回は子どものことを・・」と前回書きましたが、この度の災害はとてつもなく大きく、事態はまだまだ先が見えず不安な毎日です。
 地震の余震といっても、余震なんて思えないくらい大きく揺れて身体が過敏になってしまいました。
 さらに放射線のことでは、私はたいして影響をうけないけれど、子どもたちのことを考えると見えない恐怖を感じます。
 こういう事態が起きたときに、すぐに支援活動を始められる人はすごいです。私なんて思うばかりで、何をどうしたらよいものか思いつきません。ありがたいことに、身近の人たちが声をかけてくれるので、お誘いに乗って微々たる参加をさせてもらいます。

 少しさかのぼりますが、りんごの木の卒業式は一日繰り上げて19日の午後にやりました。
  数日前に、親たちの気持ちを聞きました。子どもを守る親の心情、卒業式という節目を、やはりやって欲しいという心境、さまざまな揺れ動く気持ちをもっていました。
 数人の方が横浜を離れ、避難しておられましたが、その方々からは涙ながらの電話をもらいました。
 避難する人たちは他の人たちを残して去るという罪悪感のようなものがあるようです。
 特に、早々にドイツに帰国した家族は、大好きな日本を、そして子どもたちが大好きだったりんごの木を捨てて帰国してしまったという思いで号泣していました。
 それぞれが、いま、自分の家族が安心できる方法を取ればいいと思います。自分の家族のことは、自分たちの置かれた状況で最良の方法をとることがいいと思います。
 結局、いつもは4、5歳児とその親たちが参加する卒業式と会食でしたが、今回はシンプルに5歳児の子どもと親たちで式だけの2時間弱にしました。短いから、緊急事態だからという気ぜわしい会にはしたくなかったので、思いはちゃんと込めてやったつもりです。
 幸い、途中で揺れることもなく、無事に終えることができました。
 毎年、当たり前にやっていたことを「卒業式って、どうしてあるんだったかしら?」「何が大事なの?」と、原点に戻って考えることができてよかったです。シンプル・イズ・ベストという、私の心情を思い出させてくれました。
 電気を節約したり、暮らし方が少し違ったり、そのことで当たり前だったことを考え直す機会でもあります。(被災地の方はそんなのんきなことを言っている場合ではないことです。お許し下さい)

 毎月、お母さんたちのお話し会(おしゃべりをする会)というのをやっているのですが、先日、ひとりのお父さんが言い出しっぺになって、お父さんたちのお話し会がありました。
 なんと、6時間も飲み食いなしで語り合い、そのあとに更に2時間も飲食しながらという膨大な時間でした。
 父親たちも繋がることで、子育てのコミュニティができるのは確かです。
 それぞれに違う分野での仕事を持っているので、話はとても参考になりました。
 人と繋がっていくことが、生きる力になっていくことを今回の災害でも感じます。
 話しましょう! 繋がりましょう!(3月29日 記)

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