新しい毎日

さくら

柴田愛子

 桜が満開です。どんなことがあろうと、季節は巡っていることが不思議なような、すごいことのような気がします。
 そして、やっぱり、自然の息吹からは元気がもらえます。りんごの木は、11日から新学期が始まります。

 すでに、入学式や入園式をすませて、新しい生活が始まった方も多いことでしょう。
 5日に入学式をし、小学1年生になった子どもたちの話を何人かから聞きました。
  みんな始めは緊張し、神経を張りつめながらも、無事に4日間通ったようです。
「学校はどう?」と聞くと「たのしい!」と返ってきますが、リラックスした楽しさを感じているわけではありません。お母さんからは、
「学校から帰ってくると、私のことを叩いたり蹴ったり、ひどいんです」
「何が気に入らないんだか、大暴れで泣き叫び、最後は寝てしまいます」
「ビデオを食い入るように見続けています」
などと報告を受けます。
 そうです。緊張も限界になり、自分で自分をどうしてよいのかわからないのです。
「つかれた」と言えればまだいいのですが、疲れたと意識すらできていないのだと思います。
 そして、張り詰めた神経を、暴れたり、泣いたりして発散したり、ビデオなど我を忘れて夢中になることで消化したりしているのです。
 新しい生活リズムに馴染むというのは、なかなか大変なことです。起床の時間が変わり、朝食をさっさと食べ、荷物を点検し、まだ馴染んでいない人たちと集団登校……。学校では座っている時間が長い、黙って聞いていなければならない時間も多い。もう、何もかもががらっと変わるのですから。
 これが日常と感じられるようになるためには、時間が必要ということでしょう。
 親もそうでしょう? 「今に馴染めるだろう」くらいに思って、せめて休日は開放・発散できるようにお過ごし下さい。
 自然の多いところであそぶのもいいし、かつての仲良しとあそぶのもいい。ともかく、ゆったりとしましょう。

 ところで、東日本大震災から一か月経ちました。日を追って被害状況が明らかになり、それにつれてその被害の膨大さに唖然としてきました。
 個々の方々の状況や事情がテレビで放映されることも多くなりました。
 原発事故の解説を何度もテレビで見ますが、理解できません。理解しようとしていない自分、受け入れようとしていない自分を感じます。
 そして、ボランティアの活動や援助金のこと、海外からの応援なども流れてきます。
 テントを張って片付けているボランティアの人、歌で励まそうと避難所をまわっている人、チャリティバザーを開催している人……。
 私の知り合いも、その人らしい支援を始めています。活動している人たちをすごいと思えば思うほど、自分が情けなくなるのです。私に何ができるのだろう、私はどうして何も思いつかないのだろう、行動しようとしないのだろうと、罪悪感に近い後ろめたさのようなものを感じてきました。どうも、自分が元気に前向きになっていないのです。
 そんなときに、8日の毎日新聞に精神科医の香山リカさんの記事を見ました。(毎週連載されています)
 見出しに「あわてず、余力蓄えて まずは自分を保つこと」とありました。
 内容の一部に「被災地外の人は、自分をしっかりと保つことが被災地支援にもつながります。いつもと違うことをして精神バランスを崩してしまっては支援どころではなくなります。今すぐボランティアに行けなくても1年、3年、5年後に人手やお金が必要になることがあるはずです。あわてふためくのではなく、余力を蓄えておくことが大切です。二番手、三番手でもいいじゃないですか。自分が必要とされる時が必ずきます」という文章がありました。とても慰められました。(気になる方は、インターネットでも全文をご覧下さい)
 心配はずっと続いています。放射能汚染のことも心配です。でも、新学期が始まり、子どもたちの命を預かる日々を迎えます。心配を安心に変えられるのは、まだまだ時間がかかりそうです。でも、とりあえず、私に今できることは子どもたちと新しい毎日を楽しみながら重ねていくことだと思い至っています。(4月10日 記)

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