新しい毎日

さくら

柴田愛子

 りんごの木は11日に新学期が始まり、一週間がたちました。
 例年のように、3歳児の保育は泣く子を抱くことから始まります。
 先週のホームページの写真にもありましたが、今年初日に大泣きした子は二人。
 一人は母親が帰る前から「ママといっしょがいい」と言いながら泣きました。これは、かなり冷静です。ママが帰ってしまうことがわかっているのですから。パニックになって泣いているわけではありませんから、「いっきに行ってしまいましょう」と母親につげて保育者が抱き取りました。
 もう一人は親と離れるときは泣きませんでした。が、気がついたのです、置いて行かれたことに。
 二人とも、泣くのが長い。意志が強そうです。そこで、気分を変えようと近くの公園に連れ出したというわけです。
 やがて、二人は泣き止んで帰ってきました。ママが作ったお弁当を口にもできました。しばらくは、代わる代わる泣く子がいることでしょう 。
段々に気づくのです、ママがいないことに。でも、保育者はやまんば(山姥)ではないことにも気づき、頼ってくれるようになるのです。
  保育者としては、これがうれしい新学期でもあります。

 4歳児は大半が3歳児からの持ち上がりです。新しいメンバーは5人くらい。
 りんごの木は4、5歳児の場所が違うので、それなりに緊張はしますが、泣き叫ぶような事態はありません。
「おおきいくみは、ながいから、ねむくなっちゃう」と、心細そうにしている子はいますけれど。
 4歳児の保育室の隣には公園があります。先週は桜吹雪がきれいでした。まさに雪景色のよう。そんな中で子どもたちは弾けたようにあそびます。部屋の中は、ほとんど空っぽ。植え込みの中に隠れてこそこそ話をしていたり、ダンゴムシを集めたり、土を掘ったり、ままごとをしたり……。5、6人で手を繋いで、それだけでうれしくて笑顔で歩いている子どもたちもいます。
 やっぱり、子どもたちが元気な姿を見ると、新鮮な空気を吸ったような気持ちになります。
 ところが、お弁当の時間になると、子どもたちの会話は違っていました。
「いま、じしんがあったら、どうする?」
「つくえのしたにかくれる」
「うちもそうしてる」
「げんぱつもこわいんだよね」」
と、毎日がこんな話題でした。元気にあそんでいるときはいいけれど、ちょっと落ち着くといつもではない不安感が甦ってくるのでしょうか。おとなと同じですね。
 先週、一年生の親から聞いた話が堪えました。
 3月11日の地震のとき、親子で外で歩いていたそうです。とても恐かった。あれから続く余震に子どもがこう言ったそうです。
「つくえとか、いすとか、いのちのないものにうまれればよかった」って。
 恐いと感じる自分を引き受けきれない、そんな心境なのでしょう。
 早く、安心できる、前向きになれる、日常になりたいですね。

 ところで、そんななか、週末に石川県保育士会によんでいただいて、一泊で金沢に行って来ました。
 兼六園近くのホテルをとっていただいて散歩すると、まさに桜並木は満開。
 食事もおいしく、お刺身は日頃の三倍もあろうかと思うほどの大きな切り身でした。温泉に入りとても快適。
 ここは地震の心配もなく、街は電気が煌煌とつき、道行く人たちは賑わっていました。
 このところ、私の近辺は薄暗く、夜は人通りが少なくなっていました。駅のエスカレーターも節電のために止まり、コンビニの看板も灯を消していました。そんなでしたから、まるで別世界のように感じました。
 講演会は会場満員の保育士さんたち。みんなの顔が元気に光って見えました。「あなたの話を聞くからね」と、まるで応援してくれているように感じたのです。
 この日、ちょっと風邪気味で鼻声だったのですが、どんどん元気になって2時間の持ち時間を越えてしまうほどにお喋りさせてもらいました。見送られて帰路についたときには、心が晴れていました。
 地震や原発の心配のない暮らしをしている人々と接して(お気持ちはきっと、身につまされている方も多かったとは思いますが)、うらやましかったり、ねたんだり、非難したり、というような気持ちにはなりませんでした。
 それどころか、元気を頂いたのです。つくづく思ったのは元気な人たちから、元気をもらえるんだということでした。
 前回書いた香山さんの「被災地外の人は、自分をしっかりと保つことが被災地支援にもつながります。」という言葉がこういうことかもしれないと実感された、ありがたい旅(?)でした。(4月17日 記)

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