つもり

はな

柴田愛子

 4歳のたいちゃんがしゃがみこんでいます。私もしゃがんでみました。
 すると、地面にたくさんのアリたちがいました。いつのまにか、アリたちがあちらこちらに出ている季節を迎えていたのです。
 たいちゃんはアリの行き先を追います。穴の中に入っていくアリ。
「ありのうちだ」と言ったかと思うと、手に持っていた細い枝を穴の中に!
 私は「あー、アリくんお気の毒・・」と思いながら見ています。子どもの気持ちをわかりたかったら、いかに黙ってみていられるかにかかっていると自分に言い聞かせながら……。
 目が慣れてくると、いたるところにアリの巣があります。片っ端から枝をつっこんでいくのを見ているうちに、なんか楽しそうになってきました。私も細い枝を手に持ちました。細い穴に次々棒をつっこんでいくのは案外おもしろいです。
 たいちゃんがつぶやきました。
「アリさんのうち、おおきくしてあげてるの」。
 そうです、たいちゃんは、そういうつもりだったのです。
 私たちの周りのアリの巣は、みんな大きな穴の家になりました。アリはめげずに奧に奧にと入っていきました。

 朝、遅めに5歳のさきちゃんが来ました。何かあったのでしょう。うつむいた顔はくもっています。
「おはよう! なんかいやなことがあったのね」と、迎えると、その訳をお母さんが話してくれました。
 たくさんとってきたオタマジャクシが、思いの外早くに足が出て手が出て、石の上に乗った。こうなると、もう、エサがないと死んでしまう。飼いたいという娘の気持ちを説得して、今、池に放してきたということでした。
 さきちゃんのうつむいた顔は、オタマジャクシを放して悲しんでいるというより、納得できない不満顔に見えました。
「たくさんの魂を頂いて、人は心も体も豊に育っていく。食べることだけに魂を頂いているわけではないんじゃないかしら」と、私の思いを話しました。
 子どもは、言い聞かされても、体験がないのでイメージできません。死んでしまうということが、どうなることなのかさえわからないのです。大事に大事に虫かごに入れて置いたら、動かなくなって、干からびてきて……となって、死んじゃった!と、わかっていくのです。
 昔から、小学校低学年くらいまでは、生き物を捕まえたり、ちぎったり、泳がしてみたり、あれこれやりながらわかっていくのだと思います。頭と言葉では理解したことにはならないのです。小さいときのことを思い出し「アリさんごめんなさい」と謝っている、大きくなった子どもはたくさんいます。
 お母さんは言いました。
「そうですね。体験しないとわからないことなのかもしれませんね。ただ、私が見ていられない」。
 そうなのですね。おとなは先がわかってしまいますから、命あるものをむやみに見逃せない。おとなと子どもの違いです。でも、人の育ちには省略が出来ません。だから、子どものことを黙ってみていられないときは、目をそらすのが一番いいです。

 さて、話題は変わりますが、先日の日曜日「東日本大震災で被害にあった現地の人の思いを聞く会」は100人近い方にいらして下さいました。
 西本さん自身の体験、熱い思い、元気な発言に触発されて、それぞれの心が揺り動かされたと思います。強烈でストレートな発言を聞くと、感心したり、同感したり、反発を感じたりします。そのことが、自分の思いを強く自覚できることに繋がると思うのです。
 1時間を超えた話をお聞きした後に、次々と質問が出ました。さらに、終了となって腰掛けられている西本さんの前に次々と人が集まって、質問ではなく自分の話をしていました。その光景を見て、みんなもこの震災でそれぞれにショックを感じ、落ち込んだり、閉ざしたりしていたことがわかりました。みんなも話したがっていたのです。
 会の終了後、短期間に集めた支援物資の子ども服や文具などの仕分けをしました。
 お母さんたちの動きはみごとでした。段ボールを店から調達してくる人、サイズや用途に分けての仕分け、ダンボール詰めとそれはテキパキと手際よく進めていきました。ダンボール箱は90個程度になりました。
 送るためには宅急便だと10万円! ヒャー! 
 すると、「私トラック運転できる」というお母さん、レンタカーのトラック8600円! 「私同乗していける!」 と、トントンとはかどっていきました。
 りんごの木関係で集まってくれた人は、すでに大学生や高校生になっている子どもたちのお母さんまでもいて、同窓会状態でした。世代を越えたお母さんたちが交わって手際よく作業している姿は感動でした。人の繋がりは偉大です!  (次週はお休みします。5月9日 記)

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