おりがみ

はな

柴田愛子

 休日、姉の誕生日だったので、甥と子どもたちが遊びに来ました。甥の子どもは、五年生と三年生の男の子です。姪もやってきました。下の姉夫婦も来ました。
 こうして家族が、なにかと集まってくるのはうれしいことです。
 食後、ばらばらとあそびだしたとき「ねえ、紙鉄砲つくれる?」と姪が言い出しました。
 私は勢いよく「はい!」と手を挙げました。なんといったって、りんごの木で年中作っていましたから、自信満々です。
 広告紙を手渡されて、折りますが、え? え? え?
 おかしい。うまくいきません。そういえば、ここ数年作っていません。
 でも、でも、いままで通算100くらいは作ってきました。
 悪戦苦闘していると、姪も姉もやり始めましたが、みんな行き詰まっています。
 五年生の子が「ネットでしらべれば」と言います。しかし、そう、簡単に負けてはいけません。
 しばらくして、私はそっと二階に行きました。インターネットを開きに。このままできないで放り出してしまっては二度と折れなくなってしまいます。この際、ネットでも、本でも、ともかくできることが大事。
 そして、検索しました。「紙鉄砲の作り方」
 見ていると思い出しました。一階に降りていき「わかった!」とみんなに教えてあげました。
 しばらくすると、姉が「ねぇ、かぶとってどう折るんだっけ?」と、聞いてきました。新聞紙でかぶとは常識。つい、この前子どもにかぶせたような……。
 あっちを折ったりこっちに向けたり、姉と姪と三人の頭を寄せてもなかなかできません。信じられない現実でした。愕然としました。
 みなさんも、できると思っているでしょう? 手に紙を持ってやってみてください。案外……忘れているかも……。

 そういえば、かつて折り紙が上手なあかねちゃんという子がいました。
 ほんとに上手でした。本を見ながらどんどん折ってしまいます。
 更に彼女のすごいとこは、人に教えるのがうまいのです。前に座った人に折り紙を教えることほど難しいことはありません。それを、彼女はどんどん教えるのです。おとなの間で「折り紙博士」とよばれていました。
 その子が高校生になったときにキャンプに来ました。
 大きくなっていましたが、幼い頃の面影を残しています。
「ねえ、あかねちゃん、昔折り紙上手だったわよね。今でも折るの?」と聞くと、
「全然覚えていない。なんにも折れない」と言うのです。あきれてしまいました。

 りんごの木ではクラスで一斉に折り紙を教えませんが、かつて、初めて幼稚園の先生になったときには、毎月折り紙を折る時間がありました。折ったものを製作帳に貼るのです。4月はチュ−リップ、5月は菖蒲、6月は紫陽花と、花が多かったです。
 折り紙を配って「角と角を合わせて…」と説明すると「わかんない!」「どうやるの?」「やってください!」「こう?」と子どもからの声がシャワーのように返ってきて、てんやわんやでした。あんなに苦労して教えたのに…、子どもの足しになってるの?
 甥の子はまだ五年生なのに、幼稚園で折り紙をやったかどうかは覚えていないと言います。
 折り紙なんて覚えてもいずれ忘れてしまうのだし、興味がある子はいいけど、無理して教えなくてもいいんじゃない?
 そうよ、だいたい、大きくなって覚えていないものは役にも立っていないということだから、小さいときに教えなくてもいいんじゃない? 
 それとも、覚えていなくてもなにかの足しになっているのかしら?
 いつか役立つこともあるのかしら? 
 いえ、もしかしたら、覚えていなくてもその頃の発達には必要だったのかも? 
 将来必要か必要じゃないかということと、忘れてしまうのだから不必要ということは問題が違いますかね?
 それに、将来というのは、いったい、いつのこと?
 人の成長は、何がどう役になったのかがわかりにくいので迷いますね。
 今回の折り紙のことは、私の単なる老化? あー、がっくり。(9月19日 記)

 新しい絵本が出版されました。「バナナこどもえん ざりがにつり」童心社。 文 柴田愛子 絵 かつらこ。
 見ていただけたらうれしいです。
 http://www.doshinsha.co.jp/search/newbook.php

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