くちげんか

はな

柴田愛子

 ネパールに行って来ました。
 一生に一度はヒマラヤを見たいと思っていたので、「ゆったりヒマラヤ・ハイキング」というツアーに参加しました。

 首都のカトマンズについて翌日、ナガルコットという標高2100メートルの丘を歩き、二泊しました。
 エベレスト山脈が真っ白に連なって見えます。
 この日、滅多に見慣れないというほどの快晴。どこまでも広がる真っ青な空と白い山々は、まさに筆舌に尽くし難しです。
 綺麗というのも違います。景色に感動したというのも違います。山々はまさに神様のように神々しい(こうごうしい)のです。変な表現ですが「神々しい」という言葉が初めてわかった気がしました。我を無くして魅せられたという感じでしょうか。
 ヒマラヤさらに、夕方には山のひとつから満月が登りました。反対の山にはお日様が沈んでいきました。月と太陽が同時に移行し、山々は夕日を映しました。
 この感動を続けさせるためでしょうか、翌日から曇り空。
 その後、一週間もハイキングをしたのに二度と山々を見ることができなかったのです。「一つ旅に、一つの感動」とおっしゃっていた方がいましたっけ。

 話は前後しますが、ナガルコットからカトマンズに戻り国内線の飛行機で30分ポカラに移動するはずでした。ところが、国内線は滑走路がひとつ。さらにポカラの視界が悪く、いつ飛ぶかわからない。待てど暮らせど飛ばない。とうとう、夕方。しかたなく、ホテルに一泊。翌日、また、飛行場で待てど暮らせど回復せず、とうとう、バスで8時間かけて移動することになりました。道幅は細く、がたがた道なので、小型のバスに乗り換えて。
 けれど、美しい段々畑や時々現れる町で人々の暮らしを見ることができてよかったです。私はヒマラヤに来たのではなく、ネパールに来たのだと初めて認識しました。
 ポカラでは、二日間、ジープですごいガタガタ道を登り高度を稼いでからハイキング。たぶん、広がっているだろうヒマラヤを努力してイメージ。でも、やっぱり見たことがないものをイメージはできないものです。残念な気分ではありますが、段々畑や、生活している人々や、小学校に立ち寄って楽しくもありました。
 
 ナガルコットもポカラでも、今の私の生活と比べたら不便ではありました。電気はすぐに停電します。ですから、ホテル(たぶん一流といわれるホテル)の洗面所にはロウソクとマッチが設置されていました。ベッドの枕元には懐中電灯が置かれていました。
 ちょっと肌寒いのですが、暖房がいまいちで、ホカロンを抱えて寝ました。
 お風呂も然りで、お湯が出る時間制限がありました。朝と夕方の5時から10時までお湯が出るのです。でも、みんなが一斉に使うとぬるくなります。
 水道から水が出るのは一日1時間というところもあるようです。
 私たちよそから来た者は、水道水は飲めません。水がよくないので、野菜や果物など生の物は食べないように注意を受けました。
 道路も舗装されていないところが多く、ほこりっぽいです。
 そういえば、現地の人のマスクは黒や模様柄です。私たちがそろって白いマスクをしている姿は異様らしく、写真を撮られてしまいました。
 ゴミもいっぱい落ちています。草を刈っている横にお菓子の紙が落ちているのに、それを拾いません。ゴミが落ちているのを汚いと感じていないようなのです。
 私たちの生活からしたら生活環境も文化レベルも悪いように見えますが、人々の表情は辛そうでも、悲しそうでも、不満顔でもありません。
 朝から、家の軒先でぼーっとしいる男の人がたくさんいます。朝からお喋りを楽しんでいる人もいます。洗濯場で楽しそうに「井戸端会議」をしているお母さんたち。
 驚いたことに、学校に行く子どもたちは真っ白なシャツで、制服をシャンと着ています。
 女の子は髪をきっちり結ってもらって、リボンをつけている子もいます。
 子どもたちは学校に行くことに誇りを持っているように見えます。人なつっこくて、目がキラキラと輝いていました。
 とにかく、忙しそうな人はひとりもいませんでした。母親の子どもを叱る声も聞こえませんでした。

 首都カトマンズは、湧いて出てくるように人が溢れています。
 車も多すぎて前に進まないほどです。
 道路のまん中に牛が寝ていたり、イヌが歩いていたり、人も縦横無尽。
 車とバイクはクラクションを鳴らしっぱなしですが、牛や犬や人には鳴らさないので不思議。ちゃんと、避けているのです。
 ここの人たちは忙しそうに歩いています。ほこりっぽくて、うるさくて、汚くて、乞食もいて、ここは絶対住みたくない場所だと思いました。 が、夜に町に出てびっくりしました。歩道は露店が所狭しと溢れていました。
 地面にシートを敷いて、食べ物、衣類、カバン、なんと魚まで売っていました。まるで縁日が延々と続いているようです。
 街灯がなく薄暗いところなのに、ちゃんと見えているのでしょう、品物をよっています。そのパワーはすごいです。これも筆舌に尽くし難しなのですが、いったい、この町はこれからどうなっていくのだろう。人のパワーのすごさ、ここに、良い指導者が登場したらすごい国になると思いました。

 まあ、見てきたことや感じたことは山ほどあるので、これまでとします。
 今回、ずっと頭にあったのは「人の貧しさ、豊かさ」ということでした。
 経済の豊かさ、貧しさ
 心の豊かさ、貧しさ
 環境の豊かさ、貧しさ
 文化の豊かさ、貧しさ
 いろいろな基準があるでしょう。
 経済の豊かさがあれば、便利な生活があれば豊かであるとはいえません。バランスの問題なのではないでしょうか。
 程良い加減を越してしまうと、人が壊れてしまう。豊かさと貧しさは、表裏一体なのかもしれません。
 帰国してテレビのニュースを見ると、放射線の数値を発表していました。
 何を持って貧しいとするのか、何を持って豊かとするのかは本当に難しい。
 けれど、やはり、子どもの目が輝いているのは、豊かである一つの証拠。そこに、原点を見る思いがします。(11月20日 記)

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