くちげんか

はな

柴田愛子

 とうとう師走になってしまいました。
「ネパールでいい景色を見て、リフレッシュできたでしょ」と言われたりしますが、日本との差に価値観を問われ続けた混乱した日々となりました。
 カトマンズからポカラまでのバスで8時間の移動中、トイレ休憩をしたときです。
 一軒の家の土間が見えました。サリーを着たお母さんが、足踏みミシンで何かを縫っていました。
 ミシンにまとわりつくように男の子と女の子が、お母さんの仕事を見ています。すると、お父さんが入り口から出てきたので、「お母さんは何を作っているんですか?」と、日本語とジェスチャーと英語の単語で聞きました。
「妻は娘の洋服を作っています。うちは○歳の息子と、○歳の娘と、妻と私の4人家族です」と、お父さんは満足そうに家族を紹介しました。その時の光景は、私の子どもの頃を思い出させました。
 昭和30年代前半。家の掘りごたつで母は縫い物をしていました。私はまとわりつくように眺めていました。
 赤いチェックの布で、母は私のスカートとベストを縫っていました。翌日の遠足に着せてくれようとしていたのです。夜も更けて、私は寝てしまいました。
 翌朝、ちゃんと服ができていました。ベストの肩がちょんととんがっていたのは気に入りませんでしたけれど、真新しい服を着て遠足に出かけました。
 家事は電化されていなかったので、母はいつも忙しそうでした。手を休めているときがありません。
 お風呂は薪。ご飯の支度、編み物、布団の綿の入れ替え・・きりのないほど忙しそうでした。
 その姿は、大変そうというより、魔法使いのようでした。子どもにはできないことを、次々と仕上げていくのです。
 朝は髪を結ってくれました。学校に行くのに気が進まない私は「おなかがいたい」とよく言いました。ほんとに痛くなるのです。すると、膝に抱いて、お腹を手で温めてくれました。
 運動会の前日は、おいなりさんを煮る臭いが家中に充満していました。
 まだ、貧しい日本の暮らしの中で、親に手をかけてもらえることは、「親の愛情」として伝わっていたように思います。

 現代、日本の子どもの自己肯定感(自尊感情)、自分をよしと思える感情が、世界の中で低いことをご存じかと思います。
「孤独である」「自分はやっかいものである」と感じてる小学生、中学生が多いと言います。
 子どもをもっと産めない理由に「子育てにお金がかかるから」という答えも多いです。
 いま、子どもへの愛情はお金をかけることになっているのではないでしょうか。
 一歳児の親から「英語を習わせた方がいいでしょうか?」「スイミングに行っている」という質問や話がよく出ます。
 子どもを育てる責任や義務は、子どもにお金をかけることと無意識に思ってしまう時代。そして、それが「やるだけのことはやっている」という安心感と同時に、子どもへの期待を生んでいる気がするのです。英語がしゃべれるように、泳げるように、勉強ができるように、いい学校に入れるように・・・・。
 でも、お稽古事に塾にお金を使ってくれたり、送り迎えをしてくれたりすることが、親の愛情と子どもは感じているでしょうか?
 ひょっとしたら、子どもにしてみると親の期待を背負うことになっていないでしょうか。
 おとなになって、親の望み通りに生きてきたけれど、と、悩む方の相談が多くなっている訳でもあると思います。
 大事なわが子に、大事と伝えることがむずかしい豊かな時代と言えるのではないでしょうか。
 運動会が午前中になっている幼稚園や学校が増えています。お昼のお弁当を作ることに親からの苦情が出るからと聞いたことがあります。(他の事情の場合もあるようですが)。
 どんなときに、どんなふうに、子どもへ手をかけることが、子どもの心に残っていくのか。今一度、自分の子ども時代を思い出しながら、考えて欲しいです。すでに、豊かな時代に育った世代のみなさんでしょうから、きっと、私とは違う親の愛情の伝わり方があったことでしょう。ぜひ自分の子どもの頃を振り返って、子育てに活かしてほしいと思います。(12月5日 記)

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