くちげんか

はな

柴田愛子

 2012年が始まりました。本年もよろしくお願いします。
 なにがあっても、かにがあっても、年月は同じ早さで流れていることに不思議を感じます。そしてわが家は、元旦は例年のごとくおせち料理を並べ、家族が集まりました。
 兄や姉、甥・姪夫婦とその子どもたち。80歳から1歳まで17人でした。こんなに大勢が健康で集まれたことにほんとに感謝です。
 なんといっても小さい子がいるのは、場が和みます。
 1歳の子が立って歩くだけで拍手が起こります。
 3歳の子がもつれるようにしゃべるだけでかわいらしく、おどけて踊ると笑いが起きます。
 小学生の子どもたちは、おとなをまきこみトランプに興じます。
 つくづく、子どもたちの笑顔をなくすような社会にだけはしたくないと、自分の仕事も含めて思いを新たにしました。言い換えると、おとなは子どもの笑顔に救われているのです。だから、大事にしなくてはいけません。
 帰りがてらなんでもかんでも持たせて返したくなります。よく、実家に帰ると何でもかんでも持って帰るという娘たちの話を耳にしますが、送り出す方もそうしたくなるのですね。笑っちゃう心境です。

 さーて、二日からはめまぐるしく過ぎました。
 暮れまでに一枚も書かない年賀状。うれしく拝見してから、さて、こちらからの賀状にとりかかります。いまだに半分も終わっていません。失礼しているみなさん、しばしお待ち下さい。今月中にはなんとか…。
 山積みになってた読みたい本は、別室に移されました。
 結局、私は気持ちと実力が伴わない。特に読みたい本と読める本のバランスがひどく悪いのです。従ってたまる一方。目だってチカチカ。本と一緒に朗読したCDが売られるといいな。そうだ、今度出版社に提案しましょう!それとも、どなたか吹き込んでくれますか?
 あとは原発に関するDVDを見ました。本も少し読みました。見るほどに、ほんとにとんでもないものに頼って生活していたことに唖然とします。ずーっと以前から警告を発していた人が何人もおられることも知りました。私は無知でした。取り返しのつかない状況にあること、飛び散った放射能を消すことができないのですから、途方に暮れます。「原子力発電はいらない」ということだけは、はっきり確信しました。
 家族でお正月を迎えられなかった方、生まれ育った地を離れて慣れない地で新年を迎えた方…、今回ほど陰りを感じた新年はなかったです。
 明るい兆しが見える年でありますようにと心から願います。

 6日には、成人式を迎える卒業生たちが集まってくれました。まぶしいほどの若者たちです。
 そして、りんごの木は、9日から始まります。子どもたちから元気と笑顔をもらって前を向いて歩きましょう!(1月8日 記)

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