タイトル

はな

柴田愛子

 5歳児を中心にサッカーがはやっています。
 子どもたちからの誘いで、子ども対おとなの試合がありました。
 といっても、おとなは6人(4、5歳児の担任すべて)に子どもは21人といったアンバランスな人数でした。
 やりたい子がみんな参加したようです。
 結果は6対1で、おとなの圧勝でした。

 この日、私は用があり、駆けつけた11時には試合が終わっていました。
 結果を聞いて「え?! ボロ負け! どうして、そうなっちゃったの?」と聞くと、いつもやっているともくんが、
「おおぜいすぎた。みんながかたまって、パスをするあいてがみえないし」
 燃えていれば、燃えているほど、残念で、悔しくて仕方ないのです。
「もういちどやりたい」「こんどは、にんずうをへらす」と、口々に話していました。
 すると、「だいたい、かなめは、こどもをおうえんしていなかったじゃないか」と、あおいくんが言いはじめました。
 サッカーをやらなかった子どもたちは、全員応援していました。
「おうえんしたね!」と、かなめちゃんが返します。
「してない。『おとながんばれ』って、いっていたじゃないか」とあおいくん。
「はじめは、おとなをおうえんしていたけど、とちゅうでこどもをおうえんした」
 気心知れて、仲良しで、すぐけんかになってしまうふたりです。
「他のひとは、どう? どっちを応援したの?」と聞くと、おとなを応援していたけれど、子どもが弱いことがわかったので、途中で子どもにしたという子が多くいました。
「でも、きこえなかったね! おとな、がんばれ! おとな、がんばれ! ってきこえると、やるきがなくなる。あたまにきても、しあいちゅうだからいえない」と、しょうごくんが言いました。
「え?! やっているときに応援している人の声が聞こえるの? 応援してくれると頑張ろうって思うの?」
 意外だった私が聞くと、「そうだ」とほとんどの子が言います。
 弱い方を応援したくなるというのも共通でした。
 そして、仲間なんだから応援してほしいという気持ちが強いことがわかりました。
「たとえば、にほんとがいこくとのしあいだったら、にほんをおうえんするでしょう!」と言います。
 もっともかも。自問自答しながらの子どもと会話を続けていました。
 やがて、あおいくんとかなめちゃんのけんかが再度勃発。
「どうしても、かなめがおうえんしなかったことがゆるせない」と、あおいくんは言います。
 他にもおとなを応援していた子はいるんです。でも、あおいくんはかなめちゃんが好きなんです。だからこそ、応援してほしかったのです。
 その気持ちはたぶんかなめちゃんに通じているのです。「だから、おうえんしたっていってるじゃない」とかなめちゃんは言っているのですから。でも、始めはおとなだったことが、あおいくんにはいやなんです。
 とうとう、あおいくんが立ち上がりました! 
 かなめちゃんめがけて突進! 背後から頭を抱えます。
 かなめちゃんがあおいくんの手に噛みつきました。
 同時くらいに、あおいくんはかなめちゃんの顔を引っ掻きました。
 さすがにおとなが入りましたが、かなめちゃんはわぁーと泣きながら外に出て行きました。
 他の子どもたちもあっけにとられていましたが、「あとでなかなおりするよ、きっと。まえみたいにね」と、冷静なものです。
 しばらくして、かなめちゃんが帰ってきました。でも、あおいくんはがんとして「ぜったい、ゆるさない。ぜったい、あやまんない」と言い、かなめちゃんは「わるくないもん」と言います。
 こんなときは時間が必要と心得た子どもたち「おべんとうにしよう!」と、まさきくんが一段と高い声で言いました。
 お弁当を食べて、あそんで、帰る用意をして集まりました。
 おや、かなめちゃんとあおいくんの顔はいつも通り、いえ、もっと明るくなっています。
「なかなおりした」とかなめちゃんが言い、あおいくんと顔を見合わせます。
「どっちがあやまったのかはいわない」とかなめちゃん。
 こういう言い方はかなめちゃんがあやまったのに違いありません。めでたしめでたしです。

 こどもたちをみていると、こんなに心を動かし、こんなに頭を動かし、ありったけで生きているパワーに圧倒されます。
 私だったら、消耗して、クタクタです。(1月22日 記)

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