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 この2週間の間に広島、徳島、埼玉、石川県とうかがってきました。残念ながら観光をする余裕はなく、ホテルと会場の移動だけ。そして、話を聞いてくださる方は子育て中の親、保育に携わっている方、子育て支援をしてくださっている方です。聞きたいと言ってくださって、あちらこちらに行けるのですから、ありがたいことです。日本語ですし、口だけ持っていけばいいのですから、気楽なものです。
 そんなこんなで、先週つれづれをお休みしましたが、清里のキャンプの記憶にひっかかっていることがあるので書きます。前回のつづきみたいなものです。

 

 一泊で雪あそびのキャンプ。夜、寝る時間のことです。
 ひとりの子が保育者に手を引かれてやって来ました。べそをかいています。
「おかあさんにあいたくなっちゃった。でんわをしてこえをきけばねられるから、でんわをしてほしい」ということでした。
「電話なんかしないよ。自分で決めてきたんでしょ。他にもお母さんに会いたくなっている人はいるわ。あなただけ電話なんてしない」と、返事しました。もっと、情けない顔になって泣きました。

 すると、側にいた小学3年生(同行したりんごの木の子)が、「どうしたの?」と声をかけて、事情を聞いていました。そして、根気よくつきあい始めたのです。遠くから「ママがいないからって、しんじゃうわけではないんだよ」と慰める声が聞こえていました。

 いっしょにいた保育者によると彼は、足が冷たいというので自分の靴下を貸し、絵本を読み、とうとう添い寝したようです。彼自身も心細かったようですから、気持ちがよくわかったのでしょうか。それとも、自分より切実な子を支えることで、彼自身が励まされていたのかもしれません。結局、その子は安らかに眠りにつきました。
 日頃、「心により添う」を基本姿勢にしている私ですが、寄り添うのはなかなかむずかしいものです。そして、寄り添うべきときかどうかの判断も難しいものです。
 その子は、小学生の彼が寄り添わなかったら、きっと、泣き寝入りをしたことでしょう……。
 朝はケロッと元気に起きてきましたから、どちらにしても同じ事?


 食事食事のときです。ご飯を何杯もお代わりしている子が3人いました。自分でお茶碗につぐのです。ところが「たべれない」と言ってきました。
 幼児は自分の加減がわからずに、お代わりして食べられないということはよくあります。しかし、友だちといることで、自分の加減よりも雰囲気にのってお代わりしていたように見えます。カチンときた私。
「残さないでよね。自分でついだんだから、全部食べてください」。
 子どもたちは、うつむき、泣きそうになりながら、食べました。
 キャンプの間に、こんな事が何回かありました。
 残せないという緊張で、もどしてしまった子もいました。(お代わりをした子ですよ。食べられない子は、残していました)

 あんがい私、やさしくありません。
 心に添うってむずかしいと、子どもとの暮らしの中で思いました。
 でも、添うことが必要なときと、添わなくていいときがありますよね。
 子育てに母性と父性が必要なように、包み込む暖かさと、背中を押すときとが。
 どこに、その一線をひくのか、私の中で整理できるでしょうか? 課題です。(2月19日 記)

 

 

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