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 先日、ある保育士会の講演にうかがいました。200人くらいの現場の方々です。
 講演は午後でしたので、午前中はリラックスしていました。緊張感を持たずに、会場に出向き、いつものようにおしゃべりを始めました。
「正しい教育や子育てはないと思う。時代によっても、国によっても、地域によっても、そして、専門家でも多様な考え方がある」と話していました。
「専門家の意見にうなずけても自分にできなければあきらめたらいい、そのうち自分に合った専門家の考えに出会うこともある」という主旨のことを話していました。
 そして、保育界も一斉保育から自由保育と変化を続けると話していたときに、「保育園だって十園十色ですよね」と言ってしまいました。さらに「だから、園のやり方が合わなければ、辞めたらいいんです」と口が滑ってしまいました。
 ぎょっとした人の顔が、目に飛び込んできました! 

 まずい! と思っのですが、言葉は引っ込められません。フォローしようとあがくほどに墓穴を掘ることになっていきます。「この話はお終い。みんな、辞めないでくださいね」と笑いでキリをつけました。
 ほんとに失礼な話でした。呼んでくださった園長級の方々には、ほんとに申し訳ない気持ちです。帰ってきてから反省しきりです。
 しかし、どうして、こんなことが口から滑り出てしまったのでしょう。
 たぶん、会場には若い保育士の方々が多かったからだと思います。最近、保育士会でも、ベテランの方が多いのです。若い人が多いことに驚いたので、若い人に話の視点があたってしまったのでしょう。
 例えば、納得できない保育内容があったとしても、自分を無くして馴染むことはない。とりあえず現場にあった保育をし、口に出せなくても、他を変えられなくても、自分の気持ちや思いは大事にしてほしいと思っています。私がそうだったからです。自分の感性や考えをなくして、保育のベテランになっていくことは、惰性で仕事をこなしていくことにしかならないからです。
 自分を失わず経験を積んでいけば、きっと、自分らしい保育を見つけることができると思っています。
 自分をなくし、ぼろぼろになってまで職場にしがみついていることはないと思っているのも事実です。
 保育という仕事だけでなく、すべてに言えることなのではないでしょうか。
 取りあえずの現実生活、その中にありながら自分を失わなければ自分を積んでいくことができる。自分を失いそうならば、環境を変えるのもひとつです。
 そんな私の思いがとんでもない場で、とんでもない言葉で出てしまったというわけです。だいたいおしゃべりで口数の多い私です。考える間もなく、言葉が口を突いて出てきます。だから、失言もよくします。
 仕方ないので、「しまった!」と思ったときや、注意を受けたときは、謝ることにしています。

 しかし、今回のように多数の方が相手の場合は事後修正ができません。ちょっとイヤの気持ちを引きずりながら、時の流れが忘れさせてくれるのを待つことにします。せめて、つれづれに書くことで気持ちを軽くしようとしている私です。すみません。(3月4日 記)

 

 

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