東日本大震災から一年経ちました。
想像を超える現実に、今も不安と緊張は続いています。安心はちっともやってきません。
連日、放映されているTVでも、いまでこその実態をみて胸が痛みます。
11日、「3.11 その時、保育園は」という映像を見てきました。
改めて、子どもの命を守る覚悟をすると同時に、日頃の保育を振りかえり、今後を考える機会をもらいました。しなければいけないことに、まだ手が着いていない自分を感じます。
保育の話をします。
9日の金曜日、卒業を間近にひかえたいちばん組の遠足の予定でした。この遠足が企画されたのには訳があります。
雪あそびに、一泊で清里に出かけたときに、ただ一人、せらくんがインフルエンザで行けませんでした。楽しみにしていたのですから、それはそれは悲しかったでしょう。
そこで、泊まりがけとはいかないけれど、みんなで出かけよう。それも、せらくんの行きたいところにしようということになったのです。
彼は「子どもの国」を選びました。電車を乗り継いで行く、子どもたちが楽しめる広い公園です。
ところが、当日は冷たい雨でした。
一応、駅に集合しました。構内の邪魔にならないスペースで円く座ってミーティングです。
今日の天気は一日中雨。それも、午後はひどくなって雷もなるかもしれない。気温はどんどん寒くなる。ふたつ寝て、月曜日は寒いけれど曇りの予報。そして、子どもの国は雨を避ける場所はないことを伝えました。
どうしたらいいか、考えます。
「あめでも、きめていたんだから、いく」
「ちがうばしょに、いく」
「てんきがよいひに、いく」という三つの意見が出されました。
子ども一人ひとりに、どうしたいかを問いかけました。保育者4人の意見も聞きました。一人だけ、みんなが楽しみにしていたのだから行きたいと言いました。
そして、立ち上がり、意見ごとに並んでみました。
雨でも行くには9人の子どもが並びました。そのなかに、せらくんもいます。
違う場所にするには10人くらい。
その他の16人くらいは、雨ではないときに行くでした。
ひとしきりお喋りをしたのち、これはせらくんの気持ちで企画したことだったので、せらくんの意向を聞くことにしました。
みんなの前に立ったせらくんは、何も言わずに立っています。
考えてはいるのだけれど、胸になにかあるのだけれど、口に出ません。
しばらく待って、「困っているね。どうして?」と聞くと、小さな声で「だって、こっちにもならんでいるし、あっちにもいる。だから、いえない」と言います。
つまり、行くと言えば、行かない子ががっかりする。行かないと言えば、行くという子ががっかりすると言うことです。せらくんはこういう子です。人の気持ちが傷つくことに敏感なのです。
「でも、今日はせらくんの気持ちでいいんだよ」と言うと、しばらく考えてから「ぼくは、みんなでいきたい」と言いました。
「これで決まり! あと、ふたつ我慢しよう! じゃあ、がっかりした気持ちを埋めて、我慢する力をだすために、おいしいデザートを用意してあげる!」と提案し、駅からりんごの木に歩き始めました。
いつものように遊びました。だれも、文句なんて言いません。
しばらくして、せらくんが近づいてきました。
「すごーくかんがえたから、つかれた」って。
その顔は、少し誇らしげでした。自分が考えて、考えて、結論を出したことに、大きな責任をはたした後のような安堵? 満足? といった気分なのではないでしょうか。
さらに、しばらくすると「あいこさん、げつようびはれるんだよね?」と聞きに来ました。
「たぶんね」と答えました。
天の神さま! どうぞ、晴らしてください!(3月11日 記)
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