2、3歳児は、普通の住宅を借りて保育をしています。子どものお家です。
階段を登ると、木製の低い扉があります。これが出入り口(門)です。
庭には小さな砂場があります。大きなシャベルで穴を掘っている子の砂が、周囲に飛び散っています。掘ることはできるけれど、砂が周囲に飛ばないようにというコントロールはできないのです。うっかりするとかかってしまいます。砂はどんどんなくなってしまうのでおとながセッセと戻します。
裸足でキャッキャと家の周りを走り回っている子がいます。
ベビーバスの中に浸かったスポンジを絞って、リボンにして頭の上にのせている子がいます。
「おひめさまなの」
本物の鍋などの中古品がたくさんあります。土を入れて、水を入れて、花を混ぜて、料理に励んでいます。
今年は、みごとに、たくさんのザクロの花が咲きました。落ちた花を「たこウインナ」といって集めます。それをボウルに入れて棒でつぶしている子がいました。なんの料理なのでしょうね。
玄関には草履や靴が氾濫しています。ぐちゅぐちゅにぬれているのもあります。
縁側には、たらいに入ったカメがいます。本物です。「ねなさい」と言って、亀の頭や手足を甲羅に突っ込んでいた子。しばらくすると「あさですよ」と引っ張り出そうとしています。
カメさん、ごめんなさい。
部屋の中では、油粘土を果物ナイフ(切れ味の悪い)で刻んでいる子。その横では、カラーのビニールテープで床に線路を貼っている子がいます。
二階にあがると、絵本の部屋の本棚からすべての絵本が出されています。絵本の洪水です。どうやら、棚をあそびに使いたかったようです。
その隣の部屋は、半間の押し入れの扉を外し、子どもたちのジャンプ場になっています。ここはお気に入り。ジャンプする床にはスポンジのマットが山積みになっています。押し入れの中に肩を寄せ合って、クスクスと楽しげな子どもたちも見えます。
そのマットを階段に敷き詰め、階段滑り台も子どもたちに人気です。
やりたいことをやっています。ほとんど一日中。
それでも、たくさんの子どもがいるのですからトラブルはあります。言葉でコミュニケーションがとれないので、ややこしい。
この日も、出入り口の扉を背にした子が、小さい子をたたきました。
たたかれた子は、訳もわからず驚いて泣きました。
たたいた方は怒っています。
「どうしてたたいたの?」と聞いたところで、言葉で返せるほど整理できてはいないでしょう。
思いを巡らせて察するよりありません。
「ここからでちゃだめってしたの?」と聞くと「うん」。
泣いてる子に「行きたかった?」と聞くと、きょとんとしています。出て行こうとしたのではなかったのでしょう。
「だいじょうぶ。いかないって」と伝えます。保育者は、通訳のようになって、子どもを繋ぎます。
ときどき、あちらこちらから、保育者の方が見学に見えます。
「ここまで自由なのですね」という言葉を、たびたび頂戴します。
その言葉の奥には様々な感想が隠れています。
「こんなにやりたい放題でいいんですか?」という方もいます。
「今までの私は中途半端でした。とことん遊ばせてはいなかった」という方もいます。
「私の園は、管理教育です。こんなあそびかた、とんでもないです」という方もいました。
30年近く前、子ども自身は何をしたいのかと、保育者としての指導をはずしたことがあります。 つまり、子どもに任せてみたのです。
すると、子どものあそび方はおもしろく、子ども同士の関係はドラマのようでした。
そして、ちゃんと成長段階にあったあそびに夢中になることがわかりました。
子どものことは子どもに任せても大丈夫(子どもは自ら育つ力を持っている)という確信みたいのものを8年目につかみました。
‘子どもの育ちを援助する保育’という視点になりました。
そんな保育が、‘こんなに自由’という言い方がふさわしいのかどうかはわかりません。
5歳児は別の場所にあります。もうすぐ「おまつり」をやりたい(子どもの提案)ということで準備を進めていました。
そのなかで一人の子が「みんなで、ぼんおどりをやろう」と言い出したらしく、私がのぞいたときには円になって「花笠音頭」を踊っていました。りんごの木には珍しい光景です。音楽に合わせて、みんなで神妙に「おして、おして、あともどり」なんて振りを覚えているのですから。
数回踊った後、私の近くでつぶやいた子が数人います「これ、つまんない」と。
でも、大きな声で言いません。言い出しっぺの子にクレームもつけません。仲間関係があるから、しぶしぶでもやるのです。
「ここまで自由にして、わがままな子になりませんか?」と聞かれることもあります。
子どもは年齢と共に、すばらしい勢いで体も心も育っているのです。3歳と5歳ではずいぶん違うのです。
子どもを信用して、もう少し、今を大事にしてもいいのではないでしょうか。(7月1日 記)
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