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 地方の友人に電話しました。彼女は私と同じ歳、娘と孫と同居しています。
 孫の話を聞いていて、驚いてしまいました。

 中学一年ですが、将来なりたいものがある、そのためには塾に行かなければならないそうです。それで、朝は学校に行き、部活をやって夕方6時10分に帰宅する。夕飯を食べて6時45分に塾に車で送ってくれるように頼んだ人が迎えに来る(母親は仕事をしているので)。やがて、その人が終了時に迎えに行ってくれて帰宅。夜はぶっそうなので、お願いしているそうです。(この塾送迎システムは小学校で利用している人が多いそうです。)
 帰宅してから学校の宿題をして、風呂に入って就寝。塾は週1回だけ休み。 
 部活は朝練があるときもあるし、コンクールや試合などで土日に出ることもあるというのです。
 日々のタイムスケジュールがびっちり決まっているのです。
 話を聞いて、ため息が出てしまいました。確かに身は安全かもしれないけど、気持ちが自由になる時間はどこにあるんでしょう? さらに、塾の送り迎えの業者やボランティアシステムができていたとは・・。

 

 周囲に聞いてみると、もっと、すごいのがいっぱいありました。特に受験生は、学校から帰ると夕食のお弁当を持って塾へ。帰宅が11時も特殊ではないらしいです。
 部活も、今は中学では全員に入らなければいけない学校も多いようです。確かに、子どもに自由を与えなければ危ないことは起きないかもしれません。ぐれる隙もないのです。
 でも、同じ学校で朝から晩まで、ほとんど同じ人間関係のみで過ごすのです。そこが居心地よければまだしも、関係が悪かったら最悪です。
 学校で机に向かい、塾で机に向かい、いったい何時間座り続けているのでしょう。

 当の子どもたちはそのことに疑いはもっていない。そういうものだからです。

 部活で発散してるから、楽しいと言う子もいます。

 

 かつて、私が中学の時には、帰りがてらに友だちと内緒で買い食いしたり、銀杏の木の下でずーっとおしゃべりしていて日が暮れてしまったり、土日に仲間と遊びに行ったりという自由な遊びの時間がありました。先生、親という人たちに振り回されない時間に、自分の本音と向き合えたし、心の解放もできた気がします。


 一日、大人の目のあるところで、教えられる時間が多いことは、自分に向き合う隙間がないのではないでしょうか?

 今の子の本音がわからないと教師も言います。本音が育っていないのではないでしょうか?

 どうすべきかという模範解答はもっていても、どうしたいのかという本音が薄れているように思います。
 労働基準法に「一日8時間」という決まりがあります。子どもたちにも「勉強基準法」を作って欲しいとさえ思います。ざらに10時間を超えているのではないでしょうか。
 感性が多感な時代に勉強ばかりで、頭は知識が豊富になるでしょうけれど、心はどうなのでしょう「困難に打ち克つ根性と体力を受験で経験する」といいます。それは、そんなに大事なことなのでしょうか。「試練を乗り越えて、大人になったら人生をお楽しみください」ということでしょうか。

 

 子どもの勉強は、親の経済力と支えが不可欠だそうです。親とスクラム組んで受験を超えるという家族が多くいます。
 子どもと話し合って、経済力と力量を考えて援助しているという親もいます。
 反対に、すっかり放任という家族もあるようです。
 子どもの育つ家庭環境は階級差のようなものがはっきりしているように思います。どの親をもつかが子どもにとって宿命的。

 ここ数日中学生のいじめの報道が新聞に大きく載っています。
 人間性を失った中学生たちの行動に愕然とします。
 しかし、いじめの問題は、私の足下にすでにあると実感する、気の重い週でした。大人たちはいったい何を子どもに求めているのでしょう。(7月15日 記)

 

 

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