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二週間前に日帰りした丹沢「ペガススの家」に、今度は一泊で行ってきました。5歳児です。
 予定の一週間前くらいから、そこでの過ごし方(といっても、あそぶ、あそぶ、あそぶ、食べる、寝る……といったおおざっぱなものですが)を考えたり、ご飯のメニューを考えたり、心配なことを相談したりしました。
 心配なことの大半は「おかあさんがいない」です。
 親と別れて泊まるという経験を持っている子は少ないです。どんなに日頃信頼している保育者でも夜になると違います。どんなに仲のよい友だちでも、夜になると違います。おねしょのこと、指しゃぶりのこと、いろいろ話し合ってきました。
 夜の不安の解決法は、お母さんの臭いのするタオルを持っていく、写真を持っていく、ぬいぐるみを持っていく、大好きな友だちとくっついて寝るなど、いろいろな案が出されていました。

 いよいよ前日、一人ひとりに、行くか行かないかを聞いていきます。「いく」が続いた中程、あすかちゃんが「いかない」と言いました。彼女はまだ引っ越してきたばかりでしたから無理からぬ事。その他に、しゅうちゃん、しゅんちゃん、さとしくん、そして、けんちゃんが「いかない」と言いました。全部で5人の子どもです。
 行かない理由を問われて、しゅうちゃんは「かわのながれが、きゅうだったらこわいから」と言いますと、けんちゃんに「じゃあ、かわにはでないで、いえのなかであそべばいいじゃない」と言われあっさり「いく」にかわりました。
 納得というより、押されてしまった感じです。
 しゅんちゃんは「パパやママとはなれたことがないから、いかない」と言いました。
 私は、今は中学生になっているほのちゃんの話を思い出していました。ほのちゃんは行きたいけどお母さんがいないことだけが心配で、ずっと迷っていました。最後に彼女は「しんぱいはもっていくことにする」と決めて行ったのです。「心配を持っていったらね、遊んでいるときは心配がなくなったみたいなの。でも、夕方になると心配が大きくなってきてね、泣いたの。おとなに抱かれて、たくさん泣いたの。泣いて寝て、朝になったらね。心配はなくなってたのよ」と、しゅんちゃんを真っ直ぐに見ながら話しました。
 しゅんちゃんの顔が、どんどん真剣になっていきました。私はこんなにおとなっぽいしゅんちゃんの顔を初めて見ました。そして、しゅんちゃんが口を開きました。「ぼく、いく」って。「そのきもちをもっていって、ねるときにいいことかんがえてねる」。
 隣にいたしゅうちゃんは「しんぱい、ぼくも、もってやる」と言いました。たぶん、自分自身不安だったしゅうちゃんは、しゅんちゃんを励ますことで、自分も励まされていたのだろうと思います。

 あとの三人の気持ちを聞きました。行きたい気持ちが六割、行きたくないのが四割のさとしくんは(気持ちを10本の棒状の積み木で見たてたら、行きたい気持ちと行きたくない気持ちをちゃんと割り振ったのです)あそび仲間のれんちゃんに「おもちゃかしてあげるから」と駆け寄られて「いく」に変わりました。夜寝れないからという心配には、おとながずっとつきあってあげると言い、いっきに明るい表情になりました。
 行きたい気持ちは二割のあすかちゃんと、五分五分のけんちゃんは、「いっしょにいこう!」と誘われ続けましたが、とうとう首を縦には振りませんでした。最終的にみんなが沈黙で見守るなか「いかない」と結論を出しました。
 そして、当日、行かない二人に見送られながら出発したのです。

 どうしてこんな酷なことを、と思われるでしょうか?
 行くか行かないかなんて聞かなければ「いくもんだ」くらいで行ってしまうものかもしれません。
 いつも自分の気持ちと向き合ってほしいのです。自分と向き合うことが思考するということです。そして、5歳児はその力が育っています。自分と向き合って、結論を出し、行動に移す。その積み重ねが、自分の意志を持つという柱に育っていくと思うからです。
 前日のことだけでも、書き尽くせない心のドラマがありました。
 行かなかった子の心のドラマは、まだ終わっていないと思います。
 いずれ、また。(7月22日 記)

 

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