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 先週、都内の幼稚園での講演が終わって、車でりんごの木に移動していたときです。

 すでに午後1時を回っていました。お腹が空いています。けれど、途中に駐車場つきのランチをするところが見つかりませんでした。

 だいぶりんごの木に近づいたところに、マクドナルドがありました。ずいぶん久しぶりです、年に一回入るかどうかくらいですから。

 懐かしいこともあり、入ることにしました。


 こういうところで、注文カウンターに行くと、いつもどうしていいかわかりません。

 頻繁に行かないために、日本語を言っているはずの店員さんの声がまるで意味がわからず、外国語を聞いているような気になってしまいます。
 スターバックスとかもそうです。

 商品に何があるのかがわからいことも、戸惑いの原因です。

 そこで、最近は賢くなりました。私の要求を店員さんに言うのです。例えば、

「コーヒーの味で、冷たくてアイスが入ったような甘いのにしてください。大きくなくていいです」ってなふうにね。この日は、

「お昼にしたいです。セットになっていて、今日のお得はなんですか?」

 すると、ちゃんと四種類を勧めてくれました。その中から選ぶのは簡単です。

 

 注文したものが出てくるまで待ち時間があることは、先日失敗したので知っています。というのはスターバックスでコーヒーを頼んで、品物が出てくるカウンターに移動したら、すぐに出てきたので私のものと信じて席に着きました。半分くらい飲んだときに、店員さんがやってきて「恐れいりますが、お客様のご注文はこちらだと思います」と、コーヒーカップを持ってきました。

 今、自分が飲んでいるのとはまったく別物です。

「あらいやだ、どうしましょう?」と言うと、

「大丈夫です。こちらもどうぞ」と言ってくださって、得をしたことがあります。

 でも、注文したものさえわかっていなかったのが恥ずかしかったです。

 こんな話をしていると、やっぱり、年配者らしいと思うでしょう? 私も思います。どこに行っても、外国みたいと思うのですから。

 一時代前の若いころが基準になっていて、なかなか頭を更新できないのです。


 さて、席について食べ始めました。食べながら周りを見回すと、びっくりしました。だって、私より年上の人が、円く席を陣取って、井戸端会議をしています。

 一人で食べている年配の人もたくさんいます。

 こんなことで戸惑っている私、遅れています。年配であろうとなかろうと、近くにある便利なものを使いこなすってすごい若さです。

 さらに、目を移してみると、なんと、店員さんはほとんど五十代? 

 かつては、若い人が高い声を頭のてっぺんからだして「ようこそ、マクドナルドに」と言っていたはず。が、みなさん帽子をかぶり、ヘッドホーン? をつけ、ちょと盛り上がった背中ではありますが、てきぱきと働いています。
 他にもお客さんはたくさんいます。子どもを連れたママ友がおしゃべりに興じています。一区画に子どもが遊べるサークルがあります。ベビーカーに赤ちゃんを乗せた夫婦もいます。暑い外の労働からちょっと休憩に来たのでしょう、お兄さんが頭を伏せて昼寝です。学生たちは群れてやってきました。
 マクドナルドはもはや日本に染みこんでいる。それだけの年月がたったことに驚きました。
 そして、思いました。これが、地域の「広場」の理想像ではないかと。

 子連れだけが行く「子育て広場」や「子育て支援センター」は同年代だけです。

 退職後の年配者にも、そういう場があります。

 でも、本来、社会はごちゃ混ぜなんです。働いている人も、リタイヤした人も、失業している人も子育てしている人も、みんながごちゃ混ぜに自由に使える明るい場所。

 100円あればコーヒーが飲める場。本を読んだり、書いたり、みんながいる割には自由な空間。そして、いつも清潔に気をつけてくれる人もいます。
 日本中のマクドナルドが地域の「広場」になったら、すごいと思いません?
 行政が委託協力してもらうってのはできないものなのでしょうか?

 それとも、今のまま、使用者が勝手にそんな使い方をしていればいいのかしら?

 

 なんだか、新しいモデルを見たような気分になってお店を出ました。(9月16日 記)

 

 

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