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 先日、石川憲彦さんの講座に行きました。

  石川さんは児童精神科・小児科医で「林試の森クリニック」の院長です。

 私はこの方の考え方が、納得できるし、尊敬している方です。
 この日は「うつ(鬱)」から自由になっていくためにというタイトルでお話を聞きました。

 ここで内容を披露するつもりはありません。私のいい加減な理解で申し上げては失礼になります。関心のある方は、お調べください。
 この講座の中で石川さんが「真の休養が必要」といった言葉が私の中に残っています。これは、うつであろうとなかろうと、生きていくためには必要なことだと思います。

 ところが「真の休養」がどうすればとれるのかが、わかっていそうでわかっていないので残っているのだと思います。
 石川さんは、こんな具体例を出されました。

 例えば、休養をとりたいとイタリアの海に行った。砂浜にじっとしていることができず、「せっかく来たんだから、泳がなくちゃ」「せっかく来たんだからイタリア料理を食べに行かなくちゃ」などと、動き回るのは休養にはならない。海辺に寝そべって、暑くなったら海につかり、またごろんと寝そべって・・・というのが休養。つまり、自分を空(くう)にするということだそうです。


 それは、とてもむずかしいと思ったのです。
 私なんて、休日も段取って動いています。朝、メモを書きます。「洗濯」「掃除」「○○○原稿」「○○講演準備」・・・こんなふうにメモらないと進まない。それでも、完璧に終えることはありません。それどころか、読みたい本の山積みは「読まなければいけない本」になって、脅かされています。
 そう考えたら、真の休養をとっていないかも?

 それで、元気ならいいじゃないとも思いますが、いや、流されながらの元気なふりになっているような気もします。
 私も疲れて休養が欲しいと思います。そんなときは家では難しいと思って、出かけます。電話やパソコンがなく、書類も本もなく、日常から開放されるのがいちばんと。

 でも、出かけて気分転換にはなっても、休養にはなっていない。イタリアの例のようにね。

 案外遊ぶってエネルギーがいりますよね。

 

 だいたい、仕事をしながら休養というのがむずかしい? 子育てをしながらだったら、もっとでしょう?
 外国のように長期の休みが必要ですね。だって、たまに一日予定があいたとするでしょう? そうすると、なんか暇をどうしていいのかわからない。

 案外、ゆったりした、心が休まる時間にはならないのです。

 でも、一週間暇だと、暇の中に自分の心地よいペースをみつけられるような気がします。
 日本人は仕事をしていないと罪悪感を感じる人も多いと言います。子どもも勉強をしないと罪悪感を感じているようです。
 もう、いい加減考えるのをやめます。真の休養を考え疲れしそうです。

 

 お終いにしようと思ったとたんひらめきました。
 そうだ! 身近な私の休養がありました。テレビでサスペンスを見ることです。
 何かしながらではわからなくなってしまうので目は移せないし、入れ込むほどの名作は、たまにしかない。ほとんどは最後の15分を見ればストーリーがわかります。でも、なんとなくじーっと見てしまうのです。頭を空にして。
 これかもしれません。そして、私みたいな人が増えているのかも。だって、この頃サスペンスもの多いですよ。

 そういえば、子どもも、だらだらとテレビやビデオを見てたりしません?

 同じ本を眺めている子もいますよね。あれ、たぶん、休養とっているのです。
 ささやかな休養ですけどね。まあ、それで、いいとしましょう。

 来週は、地方におりますのでお休みします。(9月30日 記)

 

 

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