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 とうとう師走になってしまいました。周辺の銀杏や桜が美しく色づいています。もうすぐ木枯らしがやってきて、まき散らすのでしょうね。

 

 ところで、暑くても寒くても、子どもはあそびます。

 公園という公共の場でのあそび方に、悩むことがあります。物議をかもすのは、水場と滑り台。
 水飲み場の蛇口のところを指でふさぐのは、子どもの常。ピャーと水が飛び散るのは楽しい。

 水道の蛇口の向きを変えて、あらぬところまで届くかどうかも、あそび。短めのホースをつけ、勢いよく水を出すとホースがのたうつように動くのを「とうめいにんげん」と言ってはやったときもあります。(今は見られないですけど。)
 これらは「やるといい」とおとなが勧めているわけではなく、やってしまうのが子ども。それだけ面白いのです。ところが、多くのおとなが「やめなさい!」ときつく言います。
 幼い子どもを連れている人に聞くと、大半の方が「ぬれちゃいます」「迷惑です」と言われます。子どもは楽しそうなキラン! とした表情で寄ってきますから、迷惑はしていません。イヤーな気持ちになるのは、おとなたちです。
 そんなおとなたちの視線も感じ「もう、おしまいにしようね」とほどほどでストップをかけます。それでも、まるで違う人種に見られているのを感じます。


 水は大事です。でも、子どもは水が好きです 。好きには訳があります。

 自分の働きかけによって、確実に、思いがけない反応してくれる。そして、感触がいい。

 年齢に応じた興味を満たしてくれるのが、水、泥、砂などなのです。

 滑り台もおとなのトラブルを作ります。おとなのイメージ通りに階段を上って、ちゃんと降りてくるのは1、2歳児です。3歳後半にもなれば、滑る方から登っていこうとします。年長児や小学生ともなれば、勢いよく下から上まで登れるかどうかに挑戦します。さらに、上から砂を撒いたり、水を撒いたりします。どうすれば、滑りがよくなるのか研究しているのです。
 しかし、年齢に応じて区切られているわけではなく、同じ遊具を使うのですから、小さい子の親はカチンときます。
 そのときに投げかけられる言葉は「ルールを守りなさい」です。しかし、上から滑っていくだけで楽しいと感じるのは、幼い子どもしかいません。

 公園のルールってなんなのでしょう?

 

 公園は子どものためのあそび場です。

 子どもたちの開放の場です。今や貴重な、異年齢が顔を会わせられる場所です。
 例えば、下から上がっていって上から小さい子が滑ってきたら、大きい子が譲ります。ぶつかって小さい子を突き落としてしまったなんてことは起きません。

 もし、そんな危機感を感じるのだったら「ちょっと、まって! 小さい子優先」と言えばいいじゃないですか。ルールだから守れと言うのはどうでしょう。さらに、それを見逃している私のようなおとなは「常識知らず」と否定されます。
 子どもはちょっと危ないけど、できそうなことに魅力を感じるのです。そして、挑戦するのです。小さい子も、きっと、大きい子どもたちのあそび方が刺激になっています。可能な時期になったときに「やってみたい!」になります。
 3歳は、坂を上れるように、足の裏に力を入れられるようになってくるのです。ですから、滑り台だけではなく、崖登りをしたがります。もう少し大きくなると、腕の力もついてきます。自分の体が求めていることを、ちゃんと、本能的に見つけるのが子どもです。滑り降りるだけなんて、もう、おもしろくないのです。
 子どもは自ら育つ力を持っています。体の育ち、チャレンジする勇気、集中力、試行錯誤する工夫力、すべてがあそびの中に含まれているのです。ちゃんと、自分の力量、体力にあった挑戦を繰り返して大きくなるのです。

 子どものあそびは、子どもに任せませんか?
 子どもはおとなとは違います。子どもを早くおとなにしないでください。
 おとなの価値観で、子どもを縛らないでください。(「自分の興味関心より社会規範が優先」は、輝きをなくしたおとな子どもになってしまいます)

 子ども時代の子どものやりたい気持ちを保証せずに、「やる気がない」「あそべない」「本音がみえない」「集中力がない」「指示にだけ従える」と、今の小学生を批判しないでください。そうしたのはおとななのですから。

 

 公園の息苦しさに、「プレーパーク」運動が盛んになりつつあります。子どもが子ども自身の責任であそぶ場所です。木登りや、穴掘り、水あそび、火あそびなども可能な所もあります。年齢差もあり、ありったけやれます。でも、まだまだ、近所にはないのです。忙しい小学生がありったけあそぶ時間さえもありません。近所の公園が、もう少しプレーパークに近づくといいと思っています。
 外あそびは心と体を開放します。いま、子どもたちは常に集中を要求されて、開放のときがありません。頭だけで体験がない子どもに健康な心が育つでしょうか? 子どもがダメになると、私は怒っています。(12月2日 記)

 

 

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