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 あけまして おめでとう ございます。
 今年も、つれづれaikoを続けるつもりです。よろしくお願いします。

 

 毎年、元旦は家族が集まります。昨年と同じ人数。増えることもなく減ることもなく17人。ありがたいことです。
 昔と違って、凧揚げも、独楽回しも、カルタもしませんけれど、小学生の子どもに合わせておとなたちもトランプに興じていました。
 お年玉は、私たちきょうだいは親戚が少なかったのでおばあちゃんから貰うくらいでした。その反動でもないと思いますが、姉兄たちも幼い子どもたちにセッセとお年玉を用意し、子どもたちを喜ばせます。幼い子には金額より玉(硬貨)のお金を多く、大きくなるに従って紙のお札で金額を考慮してあげる、何年か前の私の助言を参考にしているようです。

 

 二日と三日は、この数年、箱根駅伝に釘付けになっています。

 はじめは動きがとれないのでラジオで聞いていますが、ラジオは見えないことを全部言葉にしますから、アナウンサーはのべつまくなくしゃべっています。ちょっとうるさくなって、途中テレビに変えます。同じようにアナウンサーはのべつしゃべっているのだけれど、目に気が取られるのでうるさく感じません。不思議です。しかし、テレビだともう身動きがとれません。すっかり腰を下ろしてしまいます。
 日本橋から箱根までかなりの距離ですし長時間です。マラソンというよりかけっこの早さですね。10人でたすきをつなげていく。だれかひとりでも走れなくなったら終わりなのですから、一人ひとりの責任、重圧はかなりのものでしょう。途中でアクシデント起きて、ふらふらと足がもつれるようになって這うように走る姿もあります。まさに、死にものぐるいのように見えます。監督の厳しい声が聞こえるときもあります。
 見ながら思うのです。私、この人たちみたいに、死にものぐるいでなにかにとりくんだことなんてないな。私、チームプレイはきらい、自分の失敗が誰かに及ぶのもイヤだし、その責任の重さには耐えられない。だいたい、監督という人の言うとおりに動かされるのもいや。誰かに指示されるのきらいだし。それに、この場に出られるのも大変だそうで、マラソンを一年中やりながら出れなかったりする大学が山ほどあるんですって。なんか、大変な世界です。
 私は好きと思えない世界であり、全く違うタイプの人たちなんです。だのに、どうして、こんなに目が離せないのかが不思議です。日本体育大学が30年ぶりに優勝したときなんて、日体大をひいきにしている友人に「おめでとう」なんて、メールまでうっちゃった。つまり、あの必死な姿や緊張状態の連帯感にはかなり魅力的を感じているのです。こつこつ毎日努力を重ねていく人間に一目置く気持ちもあるのでしょう。だからといって、やってみようなんて決して思わないし、できないと断言できます。
「違うから面白い」これかもしれません。

 暮らし方も、子育ても、仕事観も、なにもかも立派かどうかではなく、違うんですよね。

 違う人を自分の中に持ち込まず、違う人を眺めながら感心していればいい。

 違う人を見ながら、自分らしさが見えたらいい。

 違う人を追いかける必要はないと、怠け者の私は思います。
 さあ、この一年もよそさまをおもしろがりながら、自分らしさを極めていきたいですね。では、本年もよろしく。

 

 ところで、お年賀状をいただいた方にお詫びします。私、正月になってからいただいた年賀状を眺めて、お返事の年賀状を書いています。とっても、うれしく、懐かしく眺めながら書いているのですが、効率が悪くトンと進みません。まだ、元旦に届いた分も終わっていません。くださった方、気を長くしてお待ちください。忘れた頃にお届けします。(1月6日 記)

 

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